内田樹『街場の成熟論』を読んだ。いい本だった。「まえがき」だけでも読む価値があると思う。著者のHPに載っていたので読んでみてください。
朝夕が冷え込んできて,周りの人がみんな体調を崩している。私はこの季節くらいから,慢性的な末端冷え性と肌のあかぎれで夜のあいだ寝られなくなるが,今年は眠剤をきめてばっちり健康に6時間睡眠を確保するつもりだ。皆さんもお体にお気をつけて。
日本で美味しいクラフトビールを飲んだことが一回もない。皆さんも冷静になってほしい。美味しいと思えるクラフトビールを上から3つ思い出せるだろうか? 私は無理だ。唯一,気仙沼出身の友だちが帰省のたびに買ってきてくれる気仙沼ビール? はよく憶えているし味もテイスティ グッドだが,それは友だちが気仙沼から毎回買ってきてくれるのが嬉しいから銘柄を憶えていて風味も舌に固着しているだけで,別にそれが釧路ビールだろうが,淡路島ビールだろうが,アゼルバイジャンビールだろうが知ったことではない。現にその気仙沼ビール? は人気なのか,昨年あたりからラインナップが4種類くらい増えていて,そうなるともう頭が痛い。なんていうか,クラフトビールって,キティちゃんのご当地マスコットみたいになってない? 高速のサービスエリアで売ってるやつ。サービスエリアにお酒は売っていないから,よく棲み分けができているともいえる。
東武東上線池袋発の終電は七割三分で数分遅れる。まだ多少理性のある酔っ払いを駅に置き去りにするより、電車に押し込んで下りに送った方が最大幸福を生むためだ。顧客満足とかじゃない。
改札を抜けた階段の端、鮮やかな青のほゎほゎしたマスコットが落ちているのが目についた。パペットスンスンの短いやつかカービィの青いやつかって感じの。
拾うべきか迷ったけど、万が一にも終電を逃したら嫌なので普通に見捨てた。そもそもこれの持ち主が大切に思っているかもわからないし、などと考えるその間1.5秒。横目に階段を登った。
6分の猶予の後に、24:41に私の乗った終電が駅を出た。この時間なら拾えたな〜あのほゎほゎ。
道端で見つけた落とし物を、人に踏まれず見つけやすい場所に移動する行為のことを、吉永健一氏は、「善意のはやにえ」と名付けた。
捕らえた獲物をすぐに食べず枝などに刺しておくモズの習性、はやにえになぞらえたものだ。
モズのはやにえの目的はまだ明らかになっていないが、冬に向けた備蓄説、殺戮本能説、串に刺して食べやすくしている説、縄張りを誇示している説などがあるらしい。さらには、自分がこさえたはやにえを自分で食べているかもわからず、妥当に考えれば他のモズのはやにえを食べることも多いのだそうだ。
それを思うと、モズのはやにえにも善意のはやにえにも共通する社会性があるような気もする。
自分の行いで少しでも世界がよくなりますように。小さな行動で自分をちょびっと肯定できますように。この親切が回り回って自分や自分の身近な人に返ってきますように。世界がわずかにイージーになりますように。
考えてると、無駄な重い塊である/中村冨二
すいせーさんが教えてくれた「媒体特殊性」のことを、ずっと考えています。
一回引きまちがえたので慎重に意味を確かめておくと、というかまさにすいせーさんがまとめてくださったものがあるのでそこ*1から引くと、媒体特殊性とは「たとえば、その他の複合媒体で再現しようにも困難な共感覚のあたりに潜んでいるような気が」するもので、「句と句が所属する集合(川柳/短詩/言葉)との関係に注目」するとき、「その集合に所属する必然性」のこと、なのだそうです。ふうむ。
その後すいせーさんとしゃべったところによれば、形式面で川柳の特殊性を見出だすことはできるけれど(季語の有無とか)、そのほかの部分になったとたん漠然としちゃう、というところに落ち着いています。
じつはすでに、現代川柳界隈の名言として、「川柳が川柳であるところの川柳性」という、石田柊馬さんのキラーワードがある、っちゃ、ある。これがどういうことかわかれば、即座に川柳の媒体特殊性は明らかにされる……。のですが、これがどういうことなのか、現在おそらくだれひとり分かっていません。ザ・概念。
でもなんとなくわかるのは、肝心なことは川柳のキャリアーとしての面ではなく、スピリットの部分にある。そしてそういう話をできる人は現代川柳界隈にこれまでほとんどいなかった、あるいは石田柊馬さんのように、意識の流れを吐露するようにしかしゃべることができなかった(石田さんのテクスト、ほんとむずかしいので、できたらどこかで触れていただきたい……。わらっちゃうよ!)。もちろん、そんなすぐ明言できてたまるか、ということがらだとは、うっすら理解しつつ。
作家各論に潜む、作家性から導かれるスピリットの特殊性を点つなぎするくらいしか、いまのところ有効な手立ては思いつきません*2。来たれ集合知。来たりて現在をもて、川柳の媒体特殊性を明かさしめよ! ってかんじ。
あれ、ヴェイパーウェイヴの話してないな。しよう。
前回、ヴェイパーウェイヴの定義から見えてきたその特徴=皮肉・破壊行為・郷愁が、実は現代川柳特有の要素にかなり近いのでは、というところで終わりました。
川柳には、「三要素」というのがあります。
軽み・うがち・おかしみ、と定義されるそれは、数の上で揃っているばかりでなく、ヴェイパーウェイヴの上に被せても、さほど違和感なくフィットするんではないでしょうか。ただ現代川柳となると、こればかりでは定義できないくらいの広がりを見せているので、いくらか危うい。まあでも川柳の媒体特殊性として挙げ得る特質のひとつ、とは言えると思います。もう一度言っときますが、危うくはあります。
ところで先月ちょっと触れたとおり、ヴェイパーウェイヴの特徴のうち皮肉とか破壊行為については、観測者視点で確認されたものだとされます。
実践者からするとそれは意図にない、と警戒するひともあるよう。さらにいえばヴェイパーウェイヴはのちのちフロアライクな変貌を遂げ、ついには衰退としてのフューチャーファンクにたどり着くことになります*3。例としてSaint Pepsiの代表曲“Enjoy Yourself”を引いておきましょう。
相変わらず素材は懐かしめの音楽やCMで、それらのぶつ切り×ループで出来上がってはいますが、どうでしょう。先月のコイズミデスクハスーパースーパー! に比べたら、格段に……、踊れませんか。それはもう、フツーに。なんならその辺でかかってそうですらありませんか。
『エッコ チェンバー 地下』さんの記事によれば、この初期ヴェイパーウェイヴに比べてバチボコダンサブルな音楽に残ったのは、ただヴェイパーウェイヴの「技術」だけ、だそうです……。川柳やってるあなた、そう、引っかかりましたよね。毎月記事冒頭に掲げてある句の作者・中村冨二さんは、こうおっしゃっています──「川柳という名に残されたモノは、技術だけである」*4、と。
あらゆる柳人をいまも悶えさせるこのことば。なんかこれだけでも、川柳とヴェイパーウェイヴ、業の深さが似てるように思えませんか。どうやら川柳もヴェイパーウェイヴも、現在ではその定義が形骸化してきているらしい。この拠り所のなさはひょっとすると、おのおのの原初に遡ると解明できそうな予感がありますが、今回は類似を挙げておくのみにします。
そして仮説を立てます。
この拠り所のなさこそが、現代川柳とヴェイパーウェイヴに共通する魅力であり、媒体特殊性なんじゃないか? と……。なんとここで紙幅! また来月!!!
*1 https://scrapbox.io/erasernotes/「媒体特殊性」の説明やり直し(『平常口』)以降の定義中「」内が引用です。↩︎
*2 その片鱗を、石田柊馬さんが石部明さんを例に語っておられる貴重映像がこちら→https://twitcasting.tv/gunshaku/movie/7675355 ↩︎
*3 とても勉強になる『エッコ チェンバー 地下』さんの記事「身分けの前の、こと分け」、フューチャーファンクの項を参照のこと:https://ongaku-modkey.hatenablog.com/entry/2020/04/vaporwave-terms#futurefunk ↩︎
*4 冨二さんについては、小池正博さんのこちらの記事もご参照ください:『週刊「川柳時評」』「中村冨二と「川柳的技術」」https://daenizumi.blogspot.com/2015/04/blog-post.html ↩︎
糸を染める
編み物を初めて10カ月ほど経った。
オーダーを受けたり、可愛い毛糸を見つけては買っていたが、既存の毛糸では物足りず、最近は自分で毛糸を染めるようになった。
近所の川で採取した野草で七草粥を作ったり、身近な場所で狩りをする友人を見ていたら、面白そうだと思ったことがきっかけ。
染色について何も知らないので、編み物のブランドをやっている友人に聞いてみた。毛糸玉ではなく、全体に染色剤が行き渡るようにかせの糸を使用するらしい。玉ねぎの皮を煮詰めると深い黄色、桜の枝を煮詰めると淡いピンク色に染まる。糸はウールが染まりやすいとのこと。
それから私は、散歩のたびに染色の材料になるものはないか目を光らせる様になった。散ったツツジの花びら、たんぽぽ、チューリップ、茄子の皮……。染色の動画をYouTubeで片っ端から観たりした。植物にあまり詳しくなく、虫が苦手ということもあり、思いついてから実際に試したのは夏の終わりだった。
そんなある日、バタフライピーの紅茶をもらった。バタフライピーって一時期流行った、青い紅茶? コーヒー染めや紅茶染めって聞いたことある。成功したら綺麗な青色に染まるかも! やってみよう! 必要なものは、紅茶のパック、かせ糸、ミョウバン、お湯。通常、染色する際は専用の鍋を用意するそうだが、口に入っても問題ない材料なのでフライパンと鍋を使用した。
結果、大失敗だった。青ではなく、うっすらベージュに染まった。色止めに使うミョウバンを漬物用の粗塩で代用したことが原因なのかも。
9月中旬、リベンジ。食紅を購入した。染色に使用する糸は高いので、次は失敗したくない。少量でも強く発色する食紅は、紅茶の場合とは違い、手袋を用意したり汚れてもいい服装にしないといけない。気合を入れて染色に挑む。
〜用意するもの〜
- ウールの毛糸(かせ)
- 水 500ml(媒染用)
- 水 好きなだけ(染料用)
- 酢 大さじ1
- 食紅(好きな色)
- 長方形の耐熱容器
- 白や透明の耐熱のマグカップ
- スプーンorお玉or計量カップ
①長方形のガラス容器を用意し、水500mlと酢を注いで混ぜ、毛糸を加えてよく揉み込み30分置く。
②馴染ませている間にお湯を沸かし、別の容器で(染料の色がわかる色の耐熱容器であればなんでもOK)食紅とお湯を混ぜて丁度いい色になるまで調整する。
③①の液体を捨てて、スプーンや計量カップなどで毛糸に色を付ける。
④容器にラップをして電子レンジで600Wで3分温める。
⑤液体を捨て、しばらく冷まして粗熱が取れたら毛糸をおしゃれ着用洗剤で洗う。
⑥しぼって脱水したら、ハンガーで陰干しする。
この方法を試してみたところ、大成功! ちゃんと染まった。クエン酸で色止めしたのが成功の元なのかな。
楽しいので、ぜひ試してみてください!
あなたがメタルを聴いて眠るためのいくつかの作法/眠り指南
あなたがTHE NOVEMBERSやPhoebe Bridgersを聴きながら、にぎり拳の中に痛みを隠して眠ることも、極楽睡眠ヘッドスパASMRチャンネルの流れるスマートフォン・スピーカーの前で項垂れて眠ることも、すべては美しい世界の前では同じなのである。
これはメガデスとメタリカの違いを知らないまま大人になってしまったあなたがスレイヤーを聴きながら眠るための少しの指南である。
先を急ぐので結論を言う。
音楽は捉え方が10割なのである。
そしてあなたはその捉え方を最も簡単に操作することができる。
音量ボタンを上下すればよい。
とどのつまり音楽はある程度聞かれる音量を想定して作られており、私たちは多くの場合無意識にその範疇に従っている。つまり爆音で音割れのドビュッシーを聞くものもいなければさざめくような静かさでA$AP Rockyを聞くものもいないのである。
その点メタルは異常なほどデケー音量を想定して作られている。これはメタルという音楽の性質上仕方なく、実際爆音で浴びるディストーションギターやブラストビートには抗うことのできない快楽がある(この時点でメタルを聴いても快楽を感じない人がいても構わない。ただ一つ注意書きをすると、メタルを聴きながら眠ることとメタルを聞いてモッシュピットで暴れ回ることはいくつかの共通点がある)。
音量ボタンを操作しメタルから爆音という暴力性を奪いとることで、シャカシャカドコドコと奇妙なサウンドがスマートフォンのスピーカーから流れることになるだろう。
さあここで目を瞑りながらその音像に耳を傾けてほしい。本来の創造的なカオスを制御された音楽の中に入り込んでほしい。
野蛮で過激なエネルギーが、テンポという楔によって統制されているメタルの音楽構造の美しさに、ふと気付くこともあるだろう。また、過剰ながらも洗練されたボーカルテクニックやドラムプレイの断片を耳にしながら、肉体の限界を超えようとする非人間的な叡智に恍惚とする瞬間も訪れるかもしれない。
歪みという、人類が生み出した美しい発明の一つを極限まで研ぎ澄ました果てにある音像。それが音量によって本来の形を失ってしまった姿に、幾つかの美しさと退屈さと滑稽さを見出すだろう。
いつの間にか、あなたはメタルという音楽の中に穏やかさを見出し、胎児だった頃の記憶を取り戻すかのように、眠りの深い世界へと手を伸ばすだろう。
これは、すべて理想の「り」の話をしている。そんな感覚になることは稀かもしれない。けれども、煩いものが小さな音で鳴っているという現象には不思議とメディテーション効果がある。
音量を小さくすることで副次的な聞き方が発生するのはエクストリーム・ミュージックの特権である。普段愛好している音楽を極小で聴いてほしい、おそらく5秒後には無意識に音量を上げてしまうだろう。
もう少し踏み込むと今はリスナーが音楽から何かを奪い取り、自らの好みに合わせて再構築する時代である。その最たる例がテンポだ。リスナー側による早回しや遅回しが定着してしまったことでアーティストや公式側がSlowバージョンの公式リリースをすることは今ではリスナーへの福利厚生の一つである。
次にイコライジングが挙げられる。多くの再生機器や配信サービスはイコライザー機能を備えており、リスナーが音楽のバランスを自在に調整できる。
その後にボーカル除去などが続くであろう。
Spotifyが壊れたのでSoundCloudにある誰かが雑にアップロードしたガビガビ音質の謎ピッチ上げYOASOBIを爆音で聴きながら夜の交差点を渡ったが気を失うくらい気持ちがよかった。
音楽に侵入しろ、誰かが囁いている。音量ボタンは我々が最も手軽かつ直感的に音楽に侵入することができる機能なのだ。あなたはもうメタルを聴いて眠る方法を会得している。
昔の自分のインスタのアーカイブは本当に見ていられないという話を友だちとした。これ,本当に自分か? みたいな気持ちになる。
昔,別の友だちが,苦手な異性の特徴を挙げるさいに,「毎回リオデジャネイロでブーメランしてる奴いるじゃん」と言っていて,あまりにも冴えたフレーズだったから感動して泣きそうになったことがある。このフレーズを詳しく紐解くのは野暮だろうが,それぞれ「写真のフィルター」と「写真のエフェクト」のことを指している。や〜,いるいる。リオデジャネイロでブーメランしてる奴! それやってんのがちょっと嫌なんじゃなくて,絶対毎回それやるから嫌なんだよね,中身のないこだわりね。
昔の自分は,読んだ本の一段落分をペンで強調して囲んだのをストーリーにアップしたりしてた。あと,おもしろいツイートのスクショをのせてた。とにかく文章量が多くて🤮だった。このタイプの痛さも言語化されなければいけない。反省しないといけない。
10日前からインターネットを断っている。インターネットというのは、ツイッターとショート動画全般のことです。具体的に言うと、ツイッターとインスタグラムのアカウントにログインしないようにしている。正直に説明すると、一日に一度ログインして、タイムラインとストーリーズを閲覧して、数分後にログアウトしている。最近はこんな感じでソーシャルメディアと付き合っている。
これまで暇さえあればインスタに食べたものの写真とかをアップしていたんだけど、その行き先がなくなったので、iPhoneの「ジャーナル」アプリに食べたものの写真や日記のようなものをちまちま記録し始めた。こういうのって誰かに見られている環境じゃないと続かないので、誰かに見せるつもりで書いている。ヘルシーじゃない気もするけれど、これまでもずっとこんな調子でやってきたから、誰の目にも届かないようなところでやりたい放題何かを続けることが不自然に感じられて、それだったらどのような意図であれとりあえず続けることの価値を高く見積もることにした。
インスタに写真をのせたり、ツイッターに感じていることを書き留めたりするような感覚で、他の誰かに読まれているつもりでジャーナルに記録している。でも実際には、誰にも読まれなくてちょっとさびしい。いま自分が滑稽な状況にあるような気がする。
ところでジャーナルアプリは「ヘルスケア」アプリと連携していて、ジャーナルアプリに登録した「心の状態」の推移をヘルスケアアプリからグラフとして閲覧することができる。「心の状態」では、今の自分感情の浮き沈みを「非常に不快」から「非常に快適」までの7段階の尺度で評価したうえで、「楽しい」や「悲しい」といった具体的な感情とその要因について記録する。
とりわけ最初の感情の浮き沈みを選んでいるときに変な気持ちになる。たった7段階のリニアな尺度で気持ちを測れるわけないだろとも思うし、浮き沈みなんて「快」か「不快」の二択だけで十分だろと思うこともある。最近は後者。自分の内面について考える余裕がなくて、浮き沈みとか正直よくわからないので、とりあえず「やや快適」か「快適」を押してる。毎日「非常に快適」を選んだ方が元気になれる気もしてきました!
POP STAR
イギリスのBBCが行った調査では満員電車のストレスは戦場と匹敵する、らしい。私は戦場に赴いたことがないので「あの感じね」とはならないが、相当つらいということはわかる。満員電車は社会が産んだバグのようなものでそこに乗っている人は何も悪くない。なんならそのバグの被害者ではあるが、心はさかさまで、ぶん殴って、または叫んで、つまりは狂人を模倣して、そこにいる全員を別の車両に移動させたくなる時もある。しかし、もし貴方も同じ殺意を感じた時、思い出して欲しい言葉がある。
「誰もが誰かのPop Star」
これは平井堅の『POP STAR』という曲の歌詞だ。ラスサビ前、これまでの底抜けに明るい曲調がガラリと変わり、緩やかなベースと歌になったと共に突如として現れる「誰もが誰かのPop Star」。これは多くの人間にとってお守りとなりうる素敵な言葉だ。私が一瞬、気の迷いで殺意を向けた被害者たちも誰かのPop Starなんだと思うと、少し心が温まる。そしてPop Starという名前がまた良い。例えばこれが『大切な人』や『愛する人』という、いかにもありふれた言葉だったらこんなにも心に響きはしなかっただろう。弾けるほどPopで、それでいて煌々と発光するStar。Pop Star。この言葉の周辺に漂う素晴らしい詩の香りは燃える楔に姿を変え、体に深く突き刺さる。私もきっと誰かのPop Starなのだと思える。初めてこの歌を聞いた時は「声が高い」としか思っていなかったし、歌のスキルや歌詞は全く注目していなかった。しかし大人になって改めて聴くと快活なメロディの中に薄らと古傷のような哀愁とそれに対する覚悟が時折顔を覗かせている事に気がつく。平井堅の優しく強い歌声がそのPop Star Level(以下、PSL)をグッと高めている。
「空も飛べない僕だけど、孤独を謳う夜だけど、その頬に微笑みを与えられたなら」
久しぶりにこの曲を聴いて、私は真っ先に母を思い出した。私にとって母は偉大なるPop Starだ。母はとにかくPSLが異常に高い。また、東京で出会った友人たちも皆PSLが高い人が多く、私の人生はたくさんのPop Starによって支えられている。とても恵まれている。それと同じくして満員電車の民もきっと誰かのPop Starで、他のPop Starに支えてもらいながら生きていることだろう。
あなたにとってのPop Starについて、少し思い浮かべて欲しい。それは恋人でも、恋心を寄せる人でも、親でも、友人でも、アイドルでも、犬でも、猫でも、なんでも良い。そしてあなたをPop Starだと思ってくれる人のことも思い浮かべてほしい。
もしも私があなたのキラキラのPopStarになれたのなら、それは本当に嬉しいことだ。そして、あなたが、これまでもこれからも、誰かのキラキラのPopStarになれたのなら、それは本当に素敵なことだ。
誰もが誰かのPop Star。
P.S.
ちなみに高校生の頃、ゲームが大好きでファッションなどには全く興味がない友人から平井堅の『CANDY』という曲を教えてもらったことがある。ちょうどYouTubeにMVが上がっていたので(今も上がっている)見てみると、花の首飾りを装着した平井堅が歌いながらラブホテルを闊歩するというものだった。平井堅がとてつもなくエロい女の口に飴玉を突っ込んだり、裸の女の乳首が星で隠れていたりとかなり刺激的な内容だったので、すぐさま彼に感想を伝えたところ、「いいよね」だけが返ってきた。俺はその返しがめちゃくちゃ面白くてその場で腹を抱えて笑った。今でも思い出すたびにクスッとくる。しかし、その時の彼の表情や言い方、人となりなど全ては文字にすると一気に面白く無くなってしまうので残念である。ただそれだけです。
この間、淡路島の展望台みたいな場所から、瀬戸内海の向こうに見える本州をぼーっと見ていた時、隣に居たおばちゃんが「あれ、あのぼんやり見える影みたいなやつ、あれハルカス(大阪市にあるクソでかいビル)やろか?」って景色を指差しながら言った。おばちゃんの隣に居た旦那さんは、面倒臭そうにスマホから目線を上げて「どれ?」と言った。おばちゃんは「あれ」と腕をグッと突き出した。旦那さんはしばらく無言で、クリント・イーストウッドみたいな表情で遠くを見つめていたけれど、「全然わからん」と呟いた。おばちゃんはじれったそうに「あれやん、あんた老眼鏡忘れたんか」と嫌味を言いつつ体を柵から乗り出すほど景色を強く指差した。旦那さんは「見えへんよ」と吐き捨てるように言うと、最低限の義務は果たしたと言わんばかりにまたスマホに視線を落とした。
その問答を聞いている最中、俺も探すでもなく探してたけれど、おばちゃんが言う影は見つけられなかった。霞みの向こうに横たわっている本土がうっすら見えるだけだった。
旦那との会話が断絶されたおばちゃんは、やるせなさそうに腕を戻して、一人、ぽつんと景色を見ながら、「幻やろうか。見よう見ようと思ってるから見えるんやろうか」と呟いた。俺は何となく怖くなって、隣に居た彼女の肩をクリント・イーストウッドみたいな顔をしながら抱き寄せた。