お風呂上がりとか,薄着で外出するときに鼻水や涙が止まらなくなる季節がやってきた。「寒暖差アレルギー」によるものだと見立てている。ハウスダストや秋花粉の線も探ってみたのだが,どうも発動条件が決まっているらしく,私の場合,具体的には,急に気温の差が10度以上ある空間に移動すると洟と涙が止まらなくなるようだ。鼻腔内の毛細血管が温度差で膨張して炎症を起こすようである。
「寒暖差アレルギー」というと症名然としているが,周囲の人間にはただの風邪としか思われない。お大事にといわれて,私もわざわざ訂正しないし。
あまり関係ない話だが,「気圧」の変化に敏感な人がいる。気圧の上がり下がりが体感でわかるというより,「頭痛ーる」アプリを毎日チェックして,低気圧マークがついていると,「んお,だから今日調子悪いんだ」と納得するような人だ。私も数年前は同じで,具合が悪い日は決まって低気圧の日だった。梅雨どきなんかはできればずっと横になっていたいし。ちなみに私は天気がころころ変わる田舎で育ったから,気圧の変化はなんとなくわかる。
気圧と体調に相関は存在しない。それから,田舎で育とうがなんだろうが,わかるものはわかる。
そう思い込んでから,あんま気にならなくなった。逆に高気圧の日に体調がいい,なんてことはないし。
◇幡ヶ谷居酒屋 入った順 店名うろ覚え
茶びん:良かった。堤真一みたいな大将と,元レディースみたいでちょっと怖い雰囲気の女性店員が良いバランスだった。お酒を濃いめで頼むと本当に濃く出してくれる。途中から割と有名らしい落語家さんたちが来て一緒に飲ませてもらった。おそらく普段の客層も良い。
魚貞:良かった。くじらを食わせる店。魚の鮮度は気にならなかった。看板の雰囲気と比べてなかは割とこざっぱりしてる。
鉄板ホルモン和真:ふつう。ワンオペで回してる立ち飲み屋なので客も店員も適当な感じ。常連でワイワイ系ではないと思う。脂の塊みたいなのがプラカップで提供されて,それが意外に美味しかった。酒は濃い。
呑兵衛:良かった。店員の愛想が非常に良い。一人でも入れそう。酒が濃い。
世界のいざかやけんろく:超ハズレ。店内の雰囲気がやばい。「氣」が悪い。死臭が漂っている。あとぼったくり。あまりにも酷く,川島が店員にちょっときれてておもしろかった。
酒場ガソリン:微妙。正直酔っていてあんま記憶がない。「ガソリン」ではなかったので,低評価。
豚吉もつ焼き酒場:良い。安くてまずい,いい店。飯なんかどうでもいい気分の日はここで300円の酒を何度もおかわりする。ひどいにおいのホルモンもそのうち気にならなくなる。
やきとん鈴なり:ふつう。値段もふつう。いつも賑わっててなかなか入れない。
ミヤザキ商店はなれ:ふつう。店員が元気。系列が何店かあるらしい。幡ヶ谷ではじめて大学生みたいな集団が飲んでる店にあたった。あとはみんなクスリやってそうなやつら。幡ヶ谷は本当にジャンキーみたいなやつが多い。
餃子が主役:ハズレ。店構えがもうハズレなのだが,乱数を期待して入ったのが間違いだった。
経験的に,適当に入ったら失敗する店が多い印象がある。北口の商店街はかなり奥まで続いていてお店がまだまだたくさんあるから,引き続き調査を行っていく
肖像は私を見て居ないぞ 私の消滅だぞ/中村冨二
前回、「拠り所のなさこそが、現代川柳とヴェイパーウェイヴに共通する魅力であり、媒体特殊性なんじゃないか?」という仮説を立てた、その続き。さてうまく話が進むかどうか……。
まず、それぞれの拠り所のなさを整理してみます。
川柳はその成立へ遡ると、連句の平句に由来します。
連句、あれですね、芭蕉御大が流行らせたやつ。575→77→575→77……。と順に句を付けて行って、その場の人たちの協働で成立する文芸です。そのはじめの句=発句よりも後に続く句が、平句。順に付けられたものなので、ひとつ前の句に内容として付いている、という前提があります。この前提を離れ、句だけが発展してできたのが、川柳です。
「一句屹立」なる理想まで掲げられるほど発展したあとでも、性質としての前句付け──各句は見えない前句をなにかしら持っている、という感覚は、見えない意識の部分で残っていると言われます。現代社会全体をその大きな前句とする考え方もあるようです。どこか不安定、不十分な文字列のままでも川柳がその名で立っていられるのは、その見えない前句のおかげ、とも言えます。
が、裏を返せばそれは、常に一句で立つことがない、ということでもありそうです。わざわざ「一句屹立」といわねばならない辺りもふくめ、そもそも川柳は拠り所を要するもの=川柳だけでは不安定なもの、と言うことが、どうやらできそうです。
ひるがえって、ヴェイパーウェイヴ。
これまでいくつか聞いてきた通り、ヴェイパーウェイヴの構成要素は音、映像とも、既存の作品からの剽窃かつぶつ切りです。それらをひたすら反復し、さらにテンポを不安定にいじくることで、破滅的なイメージ、現代風のサイケデリアを生じさせてきました。
剽窃、ぶつ切り、ひたすらな反復、不安定なテンポ。
何一つ、どの面からも依って立つものはなさそうです。作品としてすら……。
ではここで、ヴェイパーウェイヴの祖と言われるOneohtrix Point Neverこと、ダニエル・ロパティンさんの発言を引いてみましょう。
「(ヴェイパーウェイヴの元とされるアルバム『Chuck Person’s Eccojams Vol.1』をつくっていた)当時の自分は(中略)とにかくひたすら手っ取り早く薄汚いやり方で何かを作っていた」
「僕は自分自身を癒す手段としてあの音楽(引用注・『Chuck Person’s Eccojams Vol.1』)を作っていたから。(中略)あの音楽を作ることで自分もリラックスさせられたんだ」
「あれ(引用注・ヴェイパーウェイヴ)は僕からすれば、自分のカルチャーではないね。どうしてかと言えば、あれは一種、『Eccojams』に反応した一群の若い世代の連中、みたいなものだったわけで。彼らはなんというか、『Eccojams』をもとにして……それを様式化した、という」
「ごく初期の頃に、自分でもこう言っていたのは憶えているからさ、「これ(引用注・『Chuck Person’s Eccojams Vol.1』)は、『誰にだってやれる』という意味で、フォーク・ミュージック(民族音楽)みたいなものだ」って」
「そうやってゴミを興味深いものにしよう、と。で、思うにそこだったんだろうね、人びとがとくに興味を惹かれた点というのは。だから、あれは個人的かつキュレーター的な作法で音楽にアプローチする、そのためのひとつのやり方だったっていう」
(以上ele-king掲載のインタヴュー「OPNはいかにして生まれ、そして新作mOPNへと繫がったのか──ダニエル・ロパティン、インタヴュー(その2)」より抜粋)
※コメントの中で、タイムスタンプと合わせて各曲の元ネタが指摘されています。元ネタも聞いてみると、いかに「手っ取り早く薄汚い」ことになっているか、よく分かります……。
厳密に言うとロパティンさんは、ヴェイパーウェイヴと自分がやった音楽=Eccojamsとを区別して話しています。が、いずれにしても、「ごく初期の頃」「当時~とにかくひたすら手っ取り早く薄汚いやり方」と前置きしているように、のちにヴェイパーウェイヴにつながるこの音楽を、あくまで自分の表現の、ある時期の合間に行われた一部にすぎない、とみなしているようです。
「自分自身を癒す手段」「自分もリラックスさせられた」に見えるように、ロパティンさん自身のセルフケアとしては機能していたようですが、作品としてこれが持ち上げられるのは複雑なようす。そしてそれが、「一群の若い世代の連中」によって「様式化」された結果としてのヴェイパーウェイヴ──どうにも誕生の時点から、ちぐはぐなものを根っこに持つ頼りなさがあります。
……と、それぞれの拠り所のなさを整理したところで、もう文字がいっぱい。次回はさらなる共通点を探ってみたいと思います! どこまで行けるかな……。
生きるのが絶望的にヘタクソ。それから,失敗から学ぶ姿勢がない。自分を大事にできない。だから他人とも中途半端にしかかかわれない。嘘をつくのに慣れ過ぎている。自分でももうどれが本当のことでどれが嘘なのか分からないときがある。身体もメンタルも弱いのに自分を労わらない。いつも目先の誘惑に負ける。名古屋の帰り事故渋滞の巻き添えを3回くらいくらってへとへとで吉祥寺に帰ってきて気づいたらコメダ珈琲に入っていた。さっきまで名古屋にいたのに。事故ったやつが間抜けな顔して高速の路肩でJAFかなんかに電話してんの見るとふつうに轢きたいなとおもうときがある
唇の皮を噛んだり剥ぐ癖があって,赤ワインを飲んだ次の日は剥けたところの皮膚がタンニンに染まって黒っぽい紫色になってるんだけど,これ続けてったらいつかキングボンビーみたいになるのかな
『世界マヌケ反乱の手引書 増補版』を読む。賃労働への意欲が過去最低水準まで低下している。かといってなにか好きなことにどっぷり漬かれるよ! みたいなエネルギーもあんまない。ようするにそれ以前の問題で,自律神経とかが完全に変になっているし色々とすべてリセットしたい。テレビの占い師も11月はリセットしたくなるって言ってたよ。
会社がお金を出してくれないから,出張のときはその街でいちばん安いビジネスホテルに泊まることになる。カプセルホテルや車中泊よりはマシかと思いながら,しみのついたベッドに入る。
こういう昭和のホテルにもいいところはあって,そのひとつにはシャワーのお湯がやたらと熱いということがある。シャツを皺だらけにしたまま何着もバッグに詰めて,ホテルに着き,ハンガーにかけたよれよれのシャツたちをユニットバスのカーテンレールに吊るす。換気扇を切って赤いレバーをめいっぱいひねり,あつあつの熱湯を壁にあてる。そして扉を閉める。これが即席のスチームアイロンになって,シャツの皺がいい感じにのびる。ついでに乾燥しがちな部屋の湿度も上がる。サラリーマンになって私が得た知恵のひとつ。
今日は「名古屋 区 ヒエラルキー なんj」と検索してヒットしたスレッドを読みながら「味仙」の台湾ラーメンを食べた。味噌味とかソース味とか嫌いなので,名古屋といったら味仙でしょ。厨房に近いカウンターに通されて,キッチンからとんでもない大声の中国語が聞こえてくる。言葉はわからないが,おそらくとんでもなく粗野な命令をホールに怒鳴っている。
1105-2
私はいまTwitterを携帯から削除してて,今日デスクトップから久々に(3日間Twitterを開かないということは,衝撃的な出来事である)ログインしたら,土曜日にDMで中村くんからsaloonsの原稿が来ていたので,会社で土下座のポーズを念じながら謝罪の返信をした。そのsaloonsも(サルーンズの記事の単位は「saloons」です),SNSとの距離感に対する葛藤が書かれていて,胸を打たれる思いだった。中村くんとは私がはてなブログを使っていたころから交流があるが,未だ直接お会いしたことはない。LINEもおそらく持っていない。インスタグラムは交換しているので,「今後はインスタにDMしてください」とお願いしたが,Twitterを消すと関係が消える人たちは,ほかに何人もいる。
し,その人たちのことを正直忘れてしまっていた。
しばらくツイッターについて書きます。
4週間前に「10日前からインターネットを断っている」と書いたときがソーシャルメディアと適切な距離をとれていたピークでした。それ以降はログインを維持しています。意味のないツイートやストーリーズを投稿したり、意味がある(と思い込んでいる)ブログを公開したりしていて常時接続状態。とりわけ伝えたいことがあるわけじゃないのに、ソーシャルメディアで誰かと繋がっていないとソワソワする。病的なのかも。少なくとも依存している。
ソーシャルメディアと人生の距離が離れていれば離れているほど適切な状況であると認識している時点で、おれはソーシャルメディアにのめり込みたくないと考えているんだと思う。みなさんにとっての適切な距離はどのくらいですか?
先月はジャーナルアプリに日記や体調を記録していると書いていましたが、続きませんでした。ほんとうに情けない。13歳のときからブログを書くことは続いていて、これはなぜかというと誰かに読んでもらっているからです。しょうもない。ローティーンの頃から文章を書くこととそれをインターネットに投稿することとが不可分の状態で、その結果こんなことになってしまった。安直な表現だけどエロくない。この評価自体、誰かから見られていることを前提にしていて、おれは社会的な動物であるという事実を認めるしかない。おかしなねじ曲がりかたをした社会的な動物。バーチャルなソーシャルで生きることが当たり前。多かれ少なかれたくさんの人がそれを認めざるを得ないと思う。想像ができないからかつての状況に回帰しようとも思えません。でも抜け出せたら嬉しい。
zonbipoさんに「すみません! 書けませんでした!」って連絡をした翌日にこれを書いています。今は大学に来ていて、外は強い雨が降っています。駐輪場に停めたおれの青い自転車が雨にさらされているところを想像する。夏を過ぎても短パンを穿いていることをなんども述べる男性特有の文章。自分は今やるべきことをやっていると信じて疑わない。またあとで疑う。