アルミホイルで包んだおにぎりって美味しい感じしない?子どもの頃から、というか主に子どもの頃にそんな話をしてた。
今になってふと調べてみると、ラップよりおにぎりとの間に空間ができやすいからお米がベチャッとしないとか解説されていた。うーん、あんまり納得できない。アルミと水分の反応で旨みが〜みたいな理由を期待してたのに。
公園でそんなことを考えながら、おにぎりのアルミホイルを剥いている。小さめに握ったおにぎりの具は、梅干しとおかか。まず梅干しを食べてみたけど、なんとなく子どもの時に感じたアルミホイルによる旨みの増大?みたいなものは感じなかった。おかかも食べてみて確信したけど、絶対にラップで包んであっても同じ味だ。
もしかしたら、子どもの時に感じていた美味しさってプラシーボだったのかもしれないと思った。アルミおにぎりが遠足やお出かけの楽しい行事の思い出と結びついてたとか。もしそうだとしたら、周りの何人かの子ども達とその感覚を共有できていたのってすごくかわいい。そうであってほしい。
こんなふうに子どもの頃の思い出を再認識すると捉え方が変わることは多々ある。
あの時もそうだった。子どもの頃はチャーハンや焼きそばが苦手で、それはお母さんが仕事で居ない時の作り置きだったからじゃないかみたいな話をした時。「あー、お留守番ご飯ね」とさらり相打ちを打たれた。可愛い言葉だなと感動すると同時に、「これ共有されてる概念だったんだ」と思った。子どもだった自分のひんやりした感情とは別に、あの時はありがとうの棚にラベリングされて収まった感じだ。その棚には、世の大人達がこんな社会の中でも子どものためを思って生まれたものがたくさんつまっている。
一般化や良いようにラッピングすることはつまらなく見えるけど、それでハッピーになれるなら遠慮なくもたれかかるのが大人なのかもと思う。もう歳は大人なのに大人になりきれてなくて、毎日少しずつ大人になっていっている。今の私はあの頃のお母さんと同い年だ。