井の頭通信 01

 シャツを着る前にアイロンでしわを伸ばす。そのために,毎朝その時間分早くベッドから抜け出す。シャツ自体はなんだってよく,セールで買ったユニクロのボタンダウンでもなんでも着る。ニットやパーカーを着ればその分手間が省けるし,何分か余計に寝ていられるのに,今年の冬はパーカーなんかは一回も袖を通していない。
 ニットはシャツの上から着る。ニットそれ単体では選ばれない。パーカーに関しては,まったく似合わない。
 ある日,気まぐれで入った吉祥寺のバーで老練なマスターに,着ていたシャツのしわだらけの様子を咎められて以来,脅迫的にアイロンをかけ続けている。
 今となっては洗濯・乾燥が終わったあとのしわくちゃのシャツを取り込んでいるだけでなんとも不安な,嫌な気持ちになる。
 最近はその嫌悪感がシャツ以外にも及んでいる始末だ。
 シャツのしわを指摘されて,何故だかものすごく恥ずかしくなった。わたしは,カップ焼きそばを作ってるところなんかは誰にも見られたくない。シールを剥がして湯切りするところを親しい人に見られたら,恥ずかしさで萎縮すると思う。なんとなく,だけどものすごく惨めな感じがするから。
 同じような惨めさをシャツのしわに内心認めていたのだけど,それを初対面の爺さんに突っ込まれたのが痛手だった。会社の人間たちもそう思っていたに違いない。いままでの恋人も,家族も,ペットのヤモリも。
 それから,アイロンの蒸気と友だち関係になったというわけ。

 しつこい強迫性の発露はそれにはじまった話ではない。
 昔からずっと,自分でもよくわからないが,枕カバー用にしているタオルが枕の決まった位置からずれるのが絶対に許せずにいる。寝ている頭の下に敷くものなのだからずれていくのは当然なのに,毎回位置を微調整していかないと不安で寝付けない。
 加えていうとその枕カバー用タオル自体,13歳くらいの頃からずっと同じ二枚を使い続けていて,これ以外でもうまく寝付けない。なんの変哲もないドット柄のタオルで,水色とネイビーの色違いが2枚。3日ほどで洗濯にかけるから,365(日)÷2(枚)÷3(日)≠60(回)。60×11(年)=660回洗濯槽にぶち込んでいることになる。さすがに色味も生地もやれてきているが,このタオルは脅威の耐性を持っていて,頑張ってくれている。まだ問題なく使えそうである。
 脅迫観念とか,脅迫性が強いとかって書くと,なんだか知的エリートの職業病みたいでかっこ良さげなのだが,わたしの場合こういうふうに意図が不明だし,格好がわるい。

 許せないと思うこと自体に,なにか脅迫性を感じることもある。許せないことが日毎に増えてきている。今日は,惰性で食べる富士そばが許せなくなって,富士そばなんて惰性でしか食わないんだから,今後富士そばに入れなくなった。まあ,富士そばなんかもとから気に食わなかった。セルフサービスの水が生ぬるくてキモいこととか,演歌をBGMとして流すことに固執している姿勢とかもダサいと思う。なんか,プロパガンダとしてダサいじゃん。
 いつだったか始発を待つ間に入った渋谷の富士そばで(渋谷とかいうのも,もうどう転んだって許せない。どうやったらあんなにすべてが醜悪になれるのか理解が遠く及ばない),食券を買っていると汚いギャルの女が駆け込んできて,トイレで盛大に吐いて,そのまま出て行ったことがある。その女は店員になにか注文するからトイレを使わせてくれないかと言い,了解を得たのでトイレで用を済ませたのだ。トイレから出てきた女はかけそばでも食うのかと思えば,やっぱり頼むのやめてもいいですかと店員に尋ね,店員から了解を得たのでそのままどこかへ帰っていったのだった。今思えばその時点で富士そばとは縁を断つべきだった。

 渋谷のことを許せずとも,東京で暮らす以上は渋谷から逃れられないように,他人に対しても許せないことは多く思うが,これは富士そばのようには簡単に切り捨てられないのだ。

 それでいうと人間関係を断つ,という意味で使われる「切る」って言葉は,何がなんでも絶対に許せない。関係を切るなよ。てか切れると思ってんのかよ。てめ〜は鋏かよ。

 実は,これらの原因ははっきりわかっていて,翻って,自分のことがまったく許せていないからだ。なにもかも。人として,人倫として。

 明大前に移って一年弱が経った。相変わらず,この街にたいした愛着はない。9時に起きて井の頭線に乗って,18時前に帰ってお湯で割った焼酎を飲むための街。外で飲みたい気分だば,下高井戸かもっぱら吉祥寺で済ませる。それも億劫になってきて,たいがいは家。
 同居人の/家計を共有している/大学からの友だちの井上は滅多に酒を飲まないので,夜はリビングのソファを共有しているものの彼奴はApple TVでアニメを見ているか飯を作っている。私は最近買ったAirPods Proのノイズキャンセリングで生活音を遮断しながら同じ本を何度も読み返してはツイッターをやっている。つまり我々もアップルがないことにはまともに生きられない。
 引っ越してしばらくは家に人をたくさん呼び酒を囲んでいた。うちは2LDKでまずまず広いリビングがあって,快適な住環境の部類に入るだろう。明大前って都内の電車移動における便利さにおいてはトップレベルに優れているから,来客には困らなかった。来客も,困らないことだろう。それでもやっぱり疲れたのでいまはあんまり招いてない。
 砂漠のような街だ。みんなそれぞれの用事をこなすために過ぎ去っていく。駅前のロータリーではアフガン布で顔を覆った商人が絨毯に座して,ランプや,ラクダの干し肉を売っている。たまにカルダモンがきついお茶をそこで飲む
 井上が綺麗に保っていたいところに私は無頓着で,その逆もしかり。なのでそれぞれがあまりストレスなく家事を分担している。私は床にホコリが積もるのが嫌だから,ボロ雑巾でフローリングをふきふきしまくっている。

 会社につづく道を突き当たった丁字路に,昼間いつも座っている老婆がいて,二,三言世間話をするようになってから仲良しになった。94歳の女友だちができた。私とぴったり70歳差。そう,いつだって男女の友情は成立するのだ。うちのアル中ジジイよろしく,その婆さんも自分の話しかしないので私は相槌しか打つものがないけれど,うちのアル中ジジイよろしく耳が遠いから,ほぼ絶叫みたいな声量で話しかけている。それなりのストレス発散になっている。
 私は同世代の頭のからっぽな連中とおしゃべりするより,老人の追想にうなずいてる方が落ち着けるから,最近は彼女との世間話を楽しんでいる。もっとも,よく聞き取れなかったのだが,どこかの大学に一期生として入ったあと(当時の女性が大学に行くということがそもそも),ヨーロッパで言語を勉強して帰国したのちは高校(だから,師範学校?)で英語の教鞭を取っていたというから,話は教養を帯びていて理路整然としている。きっと住まいは素敵な一軒家なのだろう。しわくちゃだが,目鼻立ちはとても整っていて,昔は美人だったんだろうなと思わせる気品がある。あと70年昔に会えればよかったが。彼女も私をかっこいいと褒めてくれるし,懇ろなのだ。
 それにしてもおしゃべりが長すぎて午後に遅刻しそうになるから,おしゃべりを中断してじゃあまたね!!!と絶叫する。またお会いしましょうね。と言ってくれるのだが,その度なんだか少し切ない気持ちになる。

 同い年の友だちより,永く付き合ってくれるのだろうか。