Ⅰ 現代ジャズについて
1. ジャズは「死んだ」のか
私の見解では、ジャズの発展自体は、ほぼ息絶えていると捉えている。
「かつていみじくも“驚異のサウンド”と呼ばれた音楽が、いまやなによりも信頼に足る過去のよすがとして聞かれている」——1980年当時、デレク・ベイリーはそう述べた。この一言は、現代ジャズが抱える行き詰まりの本質を端的に表しているように思える。
例えばマイルス・デイヴィスは、1968年より電気楽器を取り入れるなどテイストを変化させた。確かにサウンドは斬新に聞こえ、一見進化しているように見えるが、それは私の求めるところではない。私にとってのジャズの進化とは、ジャンルの多様化ではない。あくまでも形式・リズム・メロディ・ハーモニーといった基本要素で、いかに斬新なサウンドを追求するか、が大切だと捉えている。
フィリップ・ストレンジは、「ジャズの『実質』とは、形式、リズム、メロディ、ハーモニー、音色にほかなりません」と述べている。これは、先に述べたジャンルの多様化を否定しているわけではなく、ジャズの進化とは何かを説明したまでである。
やや乱暴で、いささか保守的な見方と受け取られるかもしれない。しかし、これが私の関心である以上、本稿もこの前提に立って話を進めていきたい。
それでは、ジャズの進化はいつ止まったのか。デレク・ベイリーは「ジャズの活力が息切れの徴候をみせはじめるのは、おそらく一九五〇年代のころである」とし、「『フリー・ジャズ』や、ハイフンでつなげて表現される雑種、つまりもっとも最近の例でいえばジャズ−ロックなどは、ここではとりあげない」とも付け加えている。なんと1950年代に、すでに息切れを見せ始めていたというのだ。
ジャズの歴史において、この年代でもっとも重要な出来事といえば、マイルス・デイヴィスの“Kind of Blue”誕生であろう。
この録音でモード・ジャズ1が新たなスタイルとして示されたが、見方を変えればすでに息切れの兆候が現れている。というのも、それまでジャズの主流はビバップであったし、ジャズ=ビバップと定義付けても言い過ぎでは無いほどであった。そんな時代に別れを告げたのがこのアルバムだが、ビバップに背を向けた時点で、私はややイレギュラーさを感じてしまう。ビバップという地平でいかに成長するか、ビバップの有限性を薄々感じ取りつつも、少しでも前進しようとひたむきに即興する気流から外れたのである。厳しいと言われればそれまでだが、私はここに一つの綻びを見てしまう。
当然ビバップも広い意味での「スタイル」ではある以上、研究が進めばいつか限界を迎えるのは当然である。しかしながら、ビバップにできることは本当にそれ以上なかったのだろうか。
『Kind of Blue』ののち、モード・ジャズとハード・バップは全盛期を迎えるが、モード・ジャズは既述の通り進化の道筋からやや外れているし、ハード・バップはそれ自体が懐古主義の様相を呈している。『最新音楽用語事典』の「ハード・バップ」の項目では、「1950年代半ば、主にニューヨークの黒人たちによって展開されたジャズのスタイル。40年代に発生したビバップをより親しみやすい形に洗練させたものといえる」と定義されている。要するに、ビバップをわかりやすくしただけと言ってよい。ハード・バップ誕生によってジャズの語法が進化したとは言えないし、実際にハード・バップの音を聞いても、ビバップの延長であることは間違いないように思える。
2.ジャズにおける「スタイル」の定義
前節の通り、さしあたりジャズの進化は息切れ状態であると私は捉えている。ロックやヒップホップとのクロスオーバーを否定するわけではなく、私もそのような音楽を好んで聞くが、それとジャズの進化はさほど関係がないのだ。
ジャズが今後どのように進化/深化し得るのかを考えるにあたっては、まずその発展と停滞の歴史を押さえておくことが重要だ。そして、ジャズにおける発展と停滞を語るうえで鍵となるのが、「スタイル」という概念である。
ここでいうスタイルとは、例えばディキシーランド・ジャズ、ウェストコート・ジャズ、はたまたビバップやハード・バップといった、ジャズの内部ジャンルのことを指してはいない。確かに内部ジャンルもミュージシャンがインプロビゼーションを行う上でアイディアの源泉となるが、本稿でいう「スタイル」はこのことではなく、次の通りである。つまり、「あるアドリブソロを俯瞰したときに浮かび上がるプレイヤーの特徴、プレイヤーごとのジャズ的語法」である。いわば “ジャズの喋り方” というわけだ。
ではなぜ、スタイルの概念の理解が必要なのか。それは既述の通り、ジャズの歴史は革命家と研究家によって醸成される「スタイル」によって支えられてきたからである。革命家が斬新な技術を提示すると、後続のプレイヤーたち、ここでいう研究家たちが分析し、自身のスタイルに取り入れる動きが起こる。このプロセスによって、「ジャズにおけるスタイル」という概念そのものがまず生まれる。革命家が創り、研究家が固めるというプロセスによって、スタイルの大枠が形作られるのだ。
このことについては、岡田暁生とフィリップ・ストレンジの共著による『すごいジャズには理由がある』に詳しい。本書は凡百の史籍ではなく、具体的な演奏内容に即した分析的な視点が織り込まれている。かつ、音楽理論に明るくない読者にもわかりやすくまとめられた、稀有な一冊である。YouTubeでは実際にピアノを使って説明がされている。
3.先行研究
ブラッド・メルドーについて調査・研究している人は数多く存在するだろうが、実際に論文や文献に残された例は、私の知る限りは少ない。それは、彼の革新性がマイルス・デイヴィスやビル・エヴァンスといった大巨匠ほどは一般に認知されていないことが理由として挙げられるだろう。しかし、強力な文献はすでに存在している。それは二つある。
一つ目は、牧野直也による『〈ポスト・ジャズからの視点〉─リマリックのブラッド・メルドー』である。本書はブラッド・メルドーを真正面から捉え、彼がモダン・ジャズ2においてどのような仕事を成し遂げたのか、行き詰まりを見せていたジャズの中で、彼がいかにして新たな風を吹き込んだのかが論じられている。本稿のテーマとも深く接続し、ほぼ同様の問題意識に立つ一冊といえるだろう。
二つ目は、Mark Edward Baynes “Analytic, Descriptive, and Prescriptive Components of Evolving Jazz: A New Model Based on the Works of Brad Mehldau”である。本来私もこのような研究を志していたが、同論文ではメルドーの演奏が非常に高いレベルで徹底的に分析されており、これ以上音楽理論的なアプローチを加える必要はないと判断した。そのため本稿では、同論文とテーマが重複しないよう、異なる視点から論を展開することにした。おそらく、メルドーの演奏そのものの解析・研究に関しては、この論文一つで十分であると言ってよいだろう。
このような既存文献の存在を踏まえ、本稿は「ブラッド・メルドーの演奏からスタイルの確立方法を抽出する」という、一段階周縁化されたテーマについて論ずることにした。このような経緯があったことを明かしておきたい。
脚 注
- モード・ジャズ:コードが比較的スピーディーに移り変わるビバップとは変わり、モード(旋法=スケール=音階の種類)をアドリブの主体に据えたジャズの形態 ↩︎
- モダン・ジャズ:ビバップ以降のジャズ全てを指す概念 ↩︎
参考文献
- Derek Bailey(1980)IMROVISATION. Da capo Press.(竹田賢一・木幡和枝・斉藤栄一(1981)インプロビゼーション.工作舎.)
- ハード・バップ.In:古森優編(1998):最新音楽用語事典.リットーミュージック,p.196.
- 牧野直也(2017)〈ポスト・ジャズからの視点〉 ─リマリックのブラッド・メルドー.アルテスパブリッシング.
- Mark Edward Baynes(2015)Analytic, descriptive, and prescriptive components of evolving jazz: A new model based on the works of Brad Mehldau. The University of Auckland. https://www.jazzpiano.co.nz/wp-content/uploads/2015/05/Analytic-Descriptive-and-Prescriptive-Components-of-Evolving-Jazz-A-New-Model-Based-on-the-Works-of-Brad-Mehldau.pdf
- 岡田暁生・フィリップ・ストレンジ(2014)すごいジャズには理由がある─音楽学者とジャズ・ピアニストの対話.アルテスパブリッシング.