II ブラッド・メルドーとは
1.ブラッド・メルドーが歩んだ道のり
ブラッド・メルドーのプロフィールを紹介しておく。ブラッド・メルドー、Brad Mehldau(本名:Bradford Alexander Mehldau)は1970年8月23日にフロリダ州マイアミで生まれた。クラシック・ピアノの教育は6歳から受け、14歳でジャズピアノに傾倒。高校時代は著名なコンペティションで最優秀賞を受賞し、高校卒業後の1989年にはニューヨークへ進出、フレッド・ハーシュやジミー・コブに師事した。その後ニューヨークのクラブで頭角を現したのち、1994年にジョシュア・レッドマンのセッションに参加して注目を浴びた1。
1995年にデビュー。その後はラリー・グレナディア、ホルヘ・ロッシとレギュラー・トリオを組み、彼の代表作となるシリーズ『The Art Of the Trio』を始動させた。この間、チャーリー・ヘイデンやリー・コニッツをはじめとする巨匠たちとも共演を果たしている。また、カントリーやクラシックなどのジャンルでも活躍し、映画音楽も手がけている。
2000年に入ると、『Largo』『Highway Rider』など、より独創性を増した作品を発表。超絶技巧ドラマーとして知られるマーク・ジュリアナとの共作『Mehliana』や『Finding Gabriel』では電子楽器も演奏している。2020年には再度ジョシュア・レッドマンらの世代と合流し、『Right Back Round Again』の録音に参加した。
メルドーの来歴については、簡単ではあるが以上の通りだ。
2.なぜブラッド・メルドーなのか
私がブラッド・メルドーに興味を持ったのは、私のX(当時はTwitter)を遡ってみる限り、2018年12月9日のようだ。YouTubeでブラッド・メルドーが演奏する「All The Things You Are」を聴き、ファンになった様子が伺える。その後『The Art Of the Trio Vol 4』に収録されている「All The Things You Are」のトランスクリプション(=採譜:演奏内容を譜面に再現すること)を見て、驚いている様子が確認できる。
この時点でブラッド・メルドーに対して抱いていた印象は、独特なピアニズムを持っていて、かつそれがクールに仕上がっている、というものだった。これは現在に至るまで変わらない私のメルドー観の基礎を成すものであり、今後も揺らぐことはないだろう。
今回ブラッド・メルドーについて論じようと思った理由は二つある。
一つ目は、私自身、ミュージシャンとして彼の音楽の秘密を解明したいと思ったことである。これまで聞いてきたジャズピアノの歴史・系譜において明らかに異質な存在であることが一聴しただけでわかるのに、同時にインプロビゼーションとして筋が通っている彼のピアニズムは、稀有であり、貴重である。
例えば、単に他のミュージシャンと別のことをしたいと考えるならば、それを実行するのは非常に簡単である。ビバップでアドリブソロを行うとき、他のプレイヤーとの差別化を図ることだけが目的ならば、全行程で一音に絞って弾いてみるとか、あるいはピアノの端から端まで順番に弾いてみるとか、いくらでも方法はある。
こうした選択肢は想像の通り、無限に存在し、ランダムである。重要なのは、その上でインプロビゼーションとして筋を通す、何かしらの演奏効果を生み出すことであり、プレイヤーは基本的にそれを目指している。ビバップが根本にあるジャズにおいては、破綻なく、かつ面白いと思わせるような演奏が目指されているといえる。
二つ目は、ブラッド・メルドーがジャズの歴史においてどのようなポジションを獲得したのかを明らかにしたいと思ったことである。これまで巨匠と呼ばれてきたジャズミュージシャンたちは、評論家やファンによって系譜の一部に組み込まれてきた。
現代の若手ジャズピアニストたちは、1929年生まれのビル・エヴァンス、その約10年後に生まれたチック・コリアやハービー・ハンコック、もう少し後輩のキース・ジャレット、より後輩のミシェル・ペトルチアーニなどが紡いできた系譜のうち、どれに当てはまるかがよく議論される。ミュージシャンがインタビューなどで具体的に尊敬するミュージシャンを挙げていたら、その人物が系譜における先達であるとされることが多いだろう。
この伝統に則ったとき、ブラッド・メルドーは一体どの系譜に属するのだろうか。ジャズにおける巨匠とは、言い換えれば新しいスタイルを生み出し、後続ミュージシャンに大きな影響を与えた人物のことだ。メルドーは巨匠たり得るのだろうか。本稿では、こうした側面からもブラッド・メルドーを紐解いていく。
3.ブラッド・メルドーが参照したジャズミュージシャン
本題に移る前に、一つの前提を共有したい。ジャズに限らず、少なくとも音楽において、誰かの影響を受けずに成長することは不可能である(少なくとも、と前置きしたのは、音楽以外でも当てはまる言説だが、本稿では取り上げず精査できないためだ)。
このことに反論の余地は無いと私は判断しており、この前提で話を進めたい。
それでは本題に移る。メルドーがジャズにおいて影響を受けたのは誰だったのかを調べるために、彼のプロフィールが記載されている様々なページを参照した。ALLMUSICの紹介ページでは、オスカー・ピーターソン、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレット、ドビュッシー、バッハの名前が挙げられている。また、師事した人物として、フレッド・ハーシュ、ジュニア・マンス、ケニー・ワーナー、ジミー・コブが挙げられている。
まずオスカー・ピーターソンについて。彼は超絶技巧を駆使したテクニック主体のスタイルでありつつ、ハッピーさ、ファンキーさを兼ね備えた、いわばジャズピアノにおけるヒーローである。後進の様々なジャズピアニストたちの参照先となったことは間違いない。
メルドーへの影響を考えるならば、まずピアノそのもののテクニックが挙げられる。メルドーはクラシックのアーティストと共演することもあるほど、ピアノそのもののテクニックが非常に高い。こうした共演は彼がジャズピアニストであり、化学反応を求めた結果であるということも当然考えられるが、それでもクラシックにおいて求められるテクニックの水準には間違いなく達している。クラシックに触れたことがあれば、ピアノ自体のテクニックを身につけたいと欲望するのも自然である。メルドーも、オスカー・ピーターソンからそうした影響を受けた可能性は高いだろう。
次に、サックス奏者のジョン・コルトレーン。彼の代表曲「Giant Steps」を聞けばわかる通り、従来のポップミュージック的コード進行では飽きたらず、独自の音楽理論を構築し、そこから摩訶不思議なサウンドを生み出した。メルドーはホームページにジョン・コルトレーンについてのエッセイを載せるほどのファンである。のちに触れることになるが、彼のインプロビゼーションにはコルトレーンの理論を応用したようなフレーズが度々現れる。これがメルドーのアバンギャルド性を加速させている一因となっている。
一つ言及しておくべきことは、コルトレーンは晩年近くになると、精神世界への傾倒が激しくなる。『Om』では、人の唸り声だと思ったらサックスの音だった、といった体験ができる。そしてメルドーはこれにさほど興味を示していないように思える。コルトレーンが日本で人気な理由として、まるで修行僧のようなジャズへの向き合い方が日本人のストイックさに通ずるものがある、という説が挙げられるが、メルドーはコルトレーンのこのような姿勢にあえて触れない。
メルドーは音楽的追求において、感情を挟むことを他人に見せないような節があると思う。演奏中の彼は、決して声を出したり体を大きく揺らしたりはしない。時折顔をしかめる程度で、あとは目を瞑っているか他の演奏者の様子を軽く伺うだけである。まさにクールの名がふさわしい。もちろん内面には熱いパッションを持ってはいるのだが。
キース・ジャレットは、天からの啓示を行動で示すタイプのピアニストである。事前にアイディアを考えてインプロビゼーション内で披露するといった行動を大変嫌う人で、その点についてメルドーを明確に批判しているインタビューも存在する。以下引用。
メルドーは、大脳的だが“フリー・スピリッツ”ではない。よって、彼の音楽から自由な自発性が感じられない。ひとことで言うならば、メルドーは“哲学者”だ
メルドーは、理論に走りすぎる。彼は、自分の理論を音楽を通して“証明”しようとし過ぎている。その証明(理論)が、彼の音楽創造の目的になってしまっているところに、問題がある
該当インタビュー:Interview #127 (#61 Archive) Keith Jarrett- Part 2
メルドーは事前にネタを仕込むといったことはしないが、一つの方法論に固執しているとも捉えられるような音楽理論や作曲理論をスタイルに組み込んでいるため、即興性、自発性を非常に高いレベルで求めるキースの好みには合わないのであろう。
ちなみに、私はメルドーの即興性が薄いという主張には頷けない。彼は音楽理論を駆使することもあるが、自身のトリオのライヴ盤での爆発した演奏を聴くと、どうしてもそうは思えないのである。仮に同じようなサウンドを何度も使っていたからといって、文脈によって聞こえ方は変わるし、何よりもそこに彼の「この音を弾きたい」という強い欲望を感じるからである。その欲望は意図して出るものではなく、偶発的に欲望が発生したからそれに従ってみたら、また同じサウンドになっていた、というだけの話である。
こうした背景もあり、キースとメルドーの間には深い隔たりがあると言わざるを得ない。それにも関わらず、ジャズファンの間では、メルドーはキースの系譜にあるとする見方が蔓延している。私はこの説には完全に反対だが、そう捉えられてしまう理由がある。というのも、両者ともソロコンサートを積極的に行うこと、クラシックへの造詣が深いことが共通しているからである。
しかし、両者のクラシックへの向き合い方には決定的な違いがある。それは、メルドーはクラシックを自身のスタイルに自分の意志で深いレベルで落とし込み、別の何かへと昇華させたという点である。
言い換えると、メルドーは「クラシカル」ではない。クラシック風ではなくて、「クラシック」の真髄を即興に取り入れているわけだ。クラシックの真髄とは、理論に基づいた作曲と、それを表現する演奏者の存在だ。これに尽きる。その意味で、彼はその二つの役割を即興の中で一人でこなしている。これもメルドーの強烈な個性だ。
牧野直也氏はメルドーの特徴について、「グルーヴを感じさせることに背を向けている」、「パラパラと弾く」、「フレーズに表情をつけることを嫌う。溜めをつくらない。ダイナミクスをつけない」と列挙している。
たった一人でピアノに向かってソロを行うというフォーマットを取り入れているジャズピアニストは、数だけで言えばそこそこは存在するが、キースとメルドーはその集合の中で言えば共通項があるということになる。そのキーワードはやはりクラシックである。多くのプレイヤーは要するに一人でビバップを行うが、ベースやドラムの不在を左手で補完し、右手は通常通りセッションする時と変わらない方法論を用いてインプロビゼーションを行う。しかし両者は、それは行わない。
キースの最も有名な演奏の一つである「ケルンコンサート」では、天からの啓示、すなわち何かしらのモチーフが生まれるのを待ち、そこから発展させてインプロビゼーションを行う様子が伺える。メルドーはよりビバップからは離れ、幾何学的、時には抽象的な絵画を描くかのように音を積み重ねていく。そこではインプロビゼーションだけではなく作曲能力、理論家としての一面が見て取れる。メルドーも時折天からの啓示を待っているような仕草を見せることはあるが、キースより作曲・理論的な側面を押し出したソロを行っている。クラシック的な意味合いでの作曲レベル、つまり形式美を向上させた状態でソロに臨み、実現させているのは、現状メルドーくらいではないだろうか。
ちなみにメルドーのソロ演奏で最も素晴らしいと私が思うのは、『Live In Marciac』である。
次にドビュッシーとバッハについて。ドビュッシーは言わずもがな、現代ジャズミュージシャンのほとんどに影響を与えているはずである。というより、現代に存在する音楽すべて、といっても過言ではない。ドミソの三和音と、ドレミファソラシドの音階を原点に発展してきた音楽の歴史において、新しいページを開いた人物である。音楽に抽象絵画の方法論を持ち込み、しかも音楽的に成功させた稀有なアーティストである。
ドビュッシーの音楽的な自由を求める姿勢はジャズと非常に相性が良く、現代だけでなくそもそもジャズの誕生にも関わるような時代において、すでにその影響を残していたと言えるだろう。
バッハは、クラシック好きを公言するジャズミュージシャンがよく口にする名前である。自戒の意味も込めて、私は安易な原点回帰、懐古主義に陥ってはならない、という批判意識を忘れてはならないと信じているが、メルドーが残したソロ作品である『After Bach』を聴くと、彼にそのような安直な印象を抱くことはできない。この作品においても、彼が単なるクラシック愛好家ではないことが窺える。繰り返しにはなるが、クラシックの本質的な要素を血肉と化しているのである。
一つ付け加えておきたいこととして、メルドーは明らかにビバップを基軸としているため、ここに名前の挙がっていない人物たちも当然参照されているのは間違いない、ということである。バド・パウエルやウィントン・ケリーといったピアニストはメルドーにとってオスカー・ピーターソンよりも重要である可能性は十二分にある。
また、メルドーが師事した人物の中から、特にフレッド・ハーシュを取り上げたい。フレッド・ハーシュについて私が知っている情報は、彼がどのようなピアノを弾くのか、ということだけであるが、本稿においてはそれで十分である。というのも、彼がブラッド・メルドーの師であるということが、一聴しただけで納得できるからである。理性的、熱くなりすぎない、そして具体的な演奏内容まで、メルドーが吸収したとわかるピアニズムがはっきりと感じられる。
ここまで、メルドーが参照してきたジャズミュージシャンの紹介、そしてメルドーとの相似点・相違点などを述べたが、総じて言えるのは、メルドーは守破離の具現化であるということである。ビバップを根底としつつ、徐々に新しい世界を見せたメルドーの90年代は、ジャズの歴史において極めて重要な期間であったと私は思う。
ビバップが誕生してから半世紀ほど経っていたのだから、90年代では既に「ビバップはこれ以上拡張しない」といった風潮はあったはずであるが、メルドーは新しい側面を見せつけた。しかも、それを破綻しない方法で、である。
次章からは、いよいよブラッド・メルドーがどのようにして新しいスタイルを確立したのかを解き明かしていく。
脚 注
- Britannica「Brad Mehldau | Biography, Albums, & Facts https://www.britannica.com/biography/Brad-Mehldau ↩︎