はじめに
ファッションブランドのデザイナーをやってる。
今年で九年目になる。
一年目、ブランドは生まれたての赤ん坊のようだった。
四六時中、付きっきりでそばにいて、寝ても覚めてもそれのことを考えて、世話をしていた。
そうしないと生きていけない、かんたんに死んでしまうくらいに、もろい存在だったからだ。
お金はなくなっていく一方だった。それでも構わないと思った。
ここにそれだけの価値があると信じてたからだ。
二〜三年目、ベッドで寝た記憶がない。
布と服まみれの六畳一間のアパートの一室。
そこにミシンと作業台も置いたら、ベッドなんて置くスペースもなかった。
毎日ソファで横になっていた。家賃を4カ月滞納したときもあった。それでも服は作り続けていた。
真っ当な暮らしとか健康より、はるかに優先するものがあったからだ。
四年目、やっとブランドは黒字になるようになってきた。
真っ暗闇を手探りで進んでいくような感覚は減ってきて、何をして、何をしないべきかが少しずつ輪郭づいてきてる感覚があった。
人に頼ること、人を信じることが、昔よりも出来るようになってきた。
五〜八年目、ブランドに対して「自分ひとりで作り上げたもの」って感覚じゃなく「自分含めて、これまでにこのブランドに関わってくれたすべての人によって作られてるもの」って感覚が強くなっていった。
自分一人でロクに歩くことも出来ない、話すことも出来なかった赤ん坊が、少しほったらかしても大丈夫になった感覚だった。自分一人でつきっきりでいるより、少し距離を置いて、いろんな人や友達と一緒にいさせるほうが、より成長につながるような。
東京コレクションに参加した。共に作った人の数も史上最多で、顧客と一緒に作るコレクションや映像表現にも取り組んだ。そこに、大きな手応えも感じた。
今年、nisaiは九年目を迎えた。
人間で言ったら、小学四年生の年だ。
小学四年生なんて、好きなもの嫌いなもの、したいことしたくないこと、成人に引けをとらず明確な年齢だったなあと、自分が子どもだった頃を振り返るとそう思う。放任主義な親の元で育ったから、その頃から自炊をしていたし、与えられた遊びをやるよりも、自ら作った遊びを友人たちに共有することの方が好きだった。直己はほったらかしても大丈夫だから、と家族からよく言われていた。その言葉がさみしいときもたくさんあったけど、事実でもあったと思う。少しだけ、ここから離れても大丈夫かな、と思うようになった。
2024年初頭。
2カ月間の海外旅に出ることを決めた。荷物は機内持ち込み制限アンダーの7kg以下に抑えた。
周遊予定国(地域)は、東南アジア、中央アジア、ヨーロッパ、北アフリカ。
ほとんど同じ服をローテーションさせて、装うことより、いかにサバイブするか、自分らしさを表現するのではなく、いかにその土地の人や文化に注視するか・馴染むかを実践する。「ファッション」とは対極の、いわゆるバックパッカーと呼ばれる旅スタイルだ。
旅の当初の目的は、英語習得、休暇、映像作品つくり、創作のためのインスピレーション収集。
けれど、20代の頃から何度も海外旅に出てたから、「『自分がしたいこと』を叶えるだけの海外放浪」が、すぐに退屈や孤独をもたらすこと、なにをしてもいい自由さから怠惰になって、モチベーションを失い、かえって視野を狭くして、関心と興味を持続できず、刺激のない日常を送りがちになるっていう、そんな自己分析はできていた。
せっかく普段の暮らしとズレた日常を送ってるのに、そうなったら本末転倒だ。
そこで、旅のスタイルに「友人や旅先で出会った人に指示されたクエスト」と常に同行することを加えた。
このスタイルは、旅先での行動を従来よりも能動的にさせて、「自分だけの思いつき」以上の行動を生み、その国のローカル/パーソナルな魅力により多く触れる効果を持つ、と考えた。そして、それをクリアすることの報酬と、しないことのペナルティも付け加えた。
以下が、その一覧である。
1.誰かから「旅のクエスト」をもらい、実践する
2.クエストを一つクリアするごとに「使用可能資金」が3,000円追加される
3.10クエストクリアしないと「次の国へ移動」ができない
4.毎日英語を使用する
注
これらの設定は、それ自体を楽しむ「クエスト(冒険)」であることを忘れないようにする。クリアすること自体が目的化した「タスク(義務)」にはならないようにする。このクエスト・ルールは、こなした数を他人と競ったり、誇るためのものではなく、旅を「もっと楽しくなるように」と設計したものであることを意識する(なので、何もクエストを行わない日があってもいい)。
僕が自分で自分に課した真のクエストは一つ。
「美しい、と感じるものに出会うこと」
本当に美しいものに出会った瞬間や、胸が高まる瞬間はどんな時だったか。
それはブランドをやってきた9年間もそうだったように、自分の判断やしたいことを突き詰めた先じゃなく、自分で選んでいないような、思いがけない出来事や出会いの巡り合わせや組み合わせでこそ、出会えてきた。
結論を言うと、この旅のスタイルは、人生で何十カ国も海外渡航をしてきた自分の人生史上、一番記憶に残る、美しく楽しく刺激的な出会いに満ちた2カ月にしてくれたと、帰国から半年が過ぎた今でも何度も思い返す。
これは、そんな2カ月間の旅の記録を、クエストごとに分割する形で再編集して連載する、旅エッセイである。
クエスト001 “旅先で知り合った人と一緒にお酒を飲む”
10月下旬公開予定。