クエスト003 “現地人をデートに誘う”
「ねえ、私たちって前世で一緒だったんじゃない?」
午前3時、屋台で2人前のパッタイを注文して、プラスチック製のおもちゃのようなテーブル席に座り、パッタイが完成するのを待ちながら、完全に酔いが回った僕らは、何もかもがおかしいみたいに笑い合いながら、そんなやりとりを交わしていた。
現地人の女性と、共に踊り狂ったクラブ帰りに。
彼女は、カオサン通りに無数にある屋外屋台で近くの席に座っていたところを、話しかけたことをきっかけに仲良くなった。
彼女はずっと、遠目から、チラチラとこっちを見てるのがわかった。日本語を勉強しているから、日本人と交流したかったのと彼女は言った。日本人は、遠くからでも見分けがつくよ。と彼女は言った。普段は工科系の大学に通ってるとのことだ。
僕らは互いに、勉強中同士の英語と日本語を駆使して交流をした。
「現地の人とデートする」そこに大した会話はいらなかった。笑顔でいるだけでよかった。目を見つめて、波長をあわせていれば、仲良くなれる人はなるし、仲良くならない人はならない。言葉があってもなくても、目があったその瞬間から決まってるのだ。
彼女はよく笑う人だった。でも、彼女に限らず、大半のタイ人はみんなそうだった。彼女は「あなたは全然笑わないね」とよく言ってきた。「楽しくないの?」とよく聞いてきた。
自分の中ではかなり笑っていて、楽しいつもりの時でも、何度も言われていた。波長を合わせるのは難しいなあと思いつつ、取り組む努力はした。
仲良くなるためには、笑っとけばいい。なんて思いつつも、「“笑いの基準自体”も、国によって違う」ということを、何度も実感させられた。
会話とは、音楽みたいなものだ。別々の楽器でも、音そのものが違くても、「ノリ」さえ合わせられれば、楽しくなれる。ビートは生まれる。逆に言うと、「ノリ」を合わせられなければ、どれだけ同じ言葉で、同じチューニングにして、同じ音階を鳴らしていても、「ビート」も「ハーモニー」も生まれない。心地よくなることも、胸が高まることも、ない。
そしてこの「ノリ」を合わせることを補佐する装置として、世界中で愛飲されている「アルコール」等のドラッグが存在する。
世界各国、許容されているドラッグは異なる。
日本では、アルコールに規制はない。
しかしこの国タイでは、アルコールは規制されてないけど、テレビのCMとかで流すのはNGらしい。
かたや、日本では法律で規制されているマリファナのショップは、コンビニよりも沢山並んでいる。
かたや、インドを代表するヒンドゥー圏や、エジプトを代表とするイスラム圏では、アルコールも禁止されている。
しかしヒンドゥー教における聖地インド・バラナシでは、「シヴァ神が聖典の中で愛用していた」ということで、局所的にマリファナの使用が合法化されていて、早朝から、大麻とラッシーを混ぜたジュースが路上で販売されていて、小学生くらいの少年からおばあちゃんまで、健康ドリンクのように愛飲している。そんな話は、インド編でまたゆっくり書き残したい。
言いたいことは、ルールとは、常識とは、法律とは、土地と人と信仰が変われば、何もかも変わる。ということだ。
「自分のしたいことを突き詰めない」というこの旅のコンセプトは「自分の既存の常識や価値観をリセットする」という意図もあった。その先にこそ、新しいインスピレーションや、見たことのない美しいものとの出会いがあるのだと。
そのスタンスこそが「あらゆるその土地の風習や文化に馴染み、仲良くなれるためのグニャグニャ感」を生むと、そう思っていた。
ということで、僕は、多種多様のドラッグが合法となり愛用されているこの国で、出会った人に勧められたドラッグはすべて試していた。体を実験台にするように。あらゆる壁を捨て、心までも旅をさせるように。
クラブに行く前、ホテルの近所のおじいちゃんたちに勧められたクラトム(最近タイで合法指定された元違法の薬草ドリンク、主にタイの地方や高年齢層が楽しむドラッグ)を飲み、カオサン通りのお兄さんに勧められたエディブル・ポップコーンを食べ、エディブル・ジュースを飲み、勧められたジョイントを吸い、アルコールを飲み、膨らんだ風船の吹き口に口をつけて吸う「笑気ガス」まで試した。その半分くらいの工程を、出会ったばかりの彼女と共に。
さあ、「全部」がチャンポンされた。
そのあとどうなったか。
すべてがグニャグニャになった。
クラブ。そこは完全に、宇宙空間だった。
マジ、シンプルに、宇宙空間だった。
全員、宇宙人に見えた。
VJは、宇宙空間を直進してる宇宙船からの風景にしか見えなかった。
女の子と指と指が触れた。
それは、小学生の頃に、はじめて家族以外の女の子に触れた時の感触と同じだった。
全身に電気が走る感覚だった。
爆音で会話がままならない。
非言語コミュニケーションしか行えない。
大して話せないからちょうどいい。
踊りを真似する。相手が笑う。
目を見つめる。相手も見返す。
あえて別の踊りをする。相手が呼応する。
全体の雰囲気に合わせて体を揺らす。
全体の雰囲気と全く別のリズムで体を揺らす。
全体と個と相対とに、意識を移動させ続ける。
何をしてもいい。何もしなくていい。石でもいい。突き詰めてみれば、路上の石と、今のこの俺と、何も変わることはない。同じように原子は振動している。動いてないつもりでも、動いているのだ。
何時間経ったかわからない。言葉はいらなかった。でも、共に踊ってた女の子と一緒に異空間を出たあと、声が届く環境に立ち戻ったあと、自然と言葉が出た。その言葉は、放つ前から、相手も同じことを言うことが、不思議とわかってた。
「ねえ、私たちって前世で一緒だったんじゃない?」
「マジでわかる」
「現世でも一緒なのすごすぎる」
「私が姫であなたはナイトだったよ」
「わかる 俺は剣ふってたよ シュンシュンシュンシュン つって」
「笑」
「笑」
「風が、魔法で空を飛んでるみたいに気持ちいい」
「(パッタイを指さしながら)神が作った食べ物だ」
「(パッタイを作る屋台の少女に向かって)神よ」
あの日、たしかに僕らには風が吹いていた。
この日以来、この国のすべてが「“自分の国”に対する“海外”」ではなく「いま自分が生活して命を置いている身近な場所」として捉えられるようになった。
そうなると、これまで線を引いていたすべてのものが、まるで小学生の頃から慣れ親しんだもののようになった。
そして、この国のことが、本当に好きになった。
その「好きになっているもの」というのは、外国人向けに見せつけているもの、多種多様なエンタメコンテンツではなくて。一見なんでもない、すべてについてが、好きになれたんだ。
風とか、道とか、通りすがる人とのちょっとした挨拶とか、相手が暇そうだったら、別に誰彼かまわなく話しかけていいし、誘ってもいいし、そうやって友達になるものだよ、この国は、なんてこととか。そういうことの総括すべてが、好きになれたのだ。
この国のことを自分は何も知らなかったんだな。ということを知ることができた夜だった。
彼女とは良い友達になった。
彼女は昔付き合っていた元恋人のことをいつまでも考えている人だった。もう一度会いたいという気持ち、しかし冷静になってみたら大した人じゃなかったと嫌悪する感情、決別を決意する気持ち、だけどやっぱり会いたいという気持ち、周囲の人には止められるけど、でも私はやっぱり彼がいいのと騒ぐ姿、きっと、そうなってる自分も案外悪くない、と思ってる姿、だけど、時に、ただただ、虚しく、さみしく、自分を愛してくれないどころか、自分の今後の人生に一ミリも関わることのない人に、なぜ自分はここまで夢中になり、感情も時間を割いているのか、ということに、絶望し、涙がこぼれる瞬間。
それらが整頓されないまま、
しかしそれがそのまま彼女のエネルギーになっている姿。
それは、自分がもう終わらせた、いつかの自分を見てるようで、微笑ましかった。昔の自分に会えることは、いつだって嬉しいことだ。そして、どれだけ常識やルールが異なる国でも、こと「恋愛」においては、どの国も大して差がないんだなってことにも、また、笑みはこぼれた。
僕は、現地人とデートをした。
このクエストをくれたのは、nisaiの店頭スタッフをやってくれてるカイさんだ。
別にしたいとは思っていなかったけど、
できてよかったなと思う。
クエスト003 “現地人をデートに誘う”
クリア
次回、
“現地の生の音楽を聴いてきて”