- 000 はじめに
- クエスト001 “旅先で知り合った人と一緒にお酒を飲む”
- クエスト002 “一日空をできるだけ記録”
- クエスト003 “現地人をデートに誘う”
- クエスト004 “現地の生の音楽を聴いてほしい”
- クエスト005 “一晩を共に過ごしてこい”
- クエスト006 “ヘンテコな服の写真を10枚集めてきてほしい”
- クエスト007 “蒙古タンメン中本を超える中本みたいな麺料理を見つけて来て下さい”
トルコ、イスタンブールにて。

ヨーロッパとアジアの中間に位置する国、トルコ。
さらに、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の境界となるトルコ海峡を有する土地の特性上、ヨーロッパの歴史、世界の歴史、調べても調べ尽くせないほどのドラマがあること、そして多種多様な人種が住み発展した国ってことは、事前調査するまでもなく、なんとなく知っていた。
その雰囲気は、飛行機を降り、空港を出て、首都イスタンブールの空気を吸うことで強烈に実感した。
この国は、国民の大部分がイスラム教徒(ムスリム)とされている。しかし世俗主義を良しとしていて、イスラム教の戒律が絶対ではなく、個人の信仰の自由が尊重されているとのこと。
それもまた、実感した。そしてその上で、首都イスタンブールは、なんだか居心地が良くなかった。なんでかはわからなかった。
イスラム教国は、基本、あまり得意じゃない。イスラム教は「一神教」だ。そのコンセプトが連綿と受け継がれた場は、その価値観が、人の習慣や仕事の所作だけじゃなくて、建物にも、道にも、夜にも、そのまま描写される。
エジプト首都カイロは怖かった。たしかな畏怖があった。この空間に限っては、神はいるんだなという感じがした。その感覚は、怖いけれど、旅ならではの刺激を感じられた。
モロッコ山間部の街はやや気楽だった。イスラム教を信じるものたちは多くても、自然の方が重視されてる気がした。いつかユダヤ教国のイスラエルの山間部で1カ月間、花屋のバイトをしながら暮らした時の感覚に近かった。山で生きる人というのは、もしかしたら全世界で似たような価値観・ムードなのかもしれないと思った。顔なじみのカフェの客引きはみんな口を揃えて「日本のAVは最高」と言っていて、バカ世俗的だった。
トルコで感じた居心地の悪さは、「イスラム教国」の表層がありながら、だけど神が不在に感じる感覚に由来してた気がする。それはエジプトでもモロッコでも感じられなかった感覚だった。多種多様な人種が住んでいる。それを受け容れあってる。だけど同時に、それぞれが各々で生きてて、巨大な一体感や、連帯のムードみたいなものがない。街は賑やかで、そこら中で路上演奏してる人がいる。橋の上から釣りをする人が大勢いる。観光客が大勢いる。
居心地の悪さの正体は、「異国」を感じなかったからかもしれない。
あまりにも安全で、平和で、渾然一体としながら、フェスティバルのためのフェスティバルをしてるそのムードは、日本の祭や、東京の喧騒とほとんど同じに感じた。各国を渡り歩いて刺激厨になってしまった俺のセンサーは、もはやここを「異国」と認識できなかったのだ。
とはいえ、単純に滞在日数が少なかっただけかもしれない。2カ月間の海外旅の最後に寄った国だったから、孤独感と冷静さばかりではっちゃけとオープンさを失ってただけかもしれない。一週間滞在したら、好きになれたのかもしれない。この雑多さそのものを。
そんな雑多ウェルカムな国だから、ヨーロッパ各国、中国人、ウイグル人、各出身国の移民たちが作った、同国コミュニティ向けに発展した現地の味そのままみたいな定食屋さんが無数にあることはリサーチ済みだった。
世界各国の料理が本場の味レベルで、かつ庶民的に楽しめる。せっかくなら、他ではあまり食べられないようなものを試してみよう、と、滞在していたホテルから徒歩20分ほどのウイグル料理専門店へ向かった。



羊肉の焼餃子と、「ラグメン」と呼ばれる麺料理を頼んだ。
焼餃子は想像どおりの美味しさだったけれど、このラグメンが、なかなか食べる機会のない味だった。麺は太く、うどんのような、ラーメン二郎のようなコシで、それに絡む甘辛いようなタレが美味い。
「蒙古タンメン中本を超える麺料理を見つけてきてください」とクエストを与えてくれたのは、ラーメンは中本しか食べないが口癖の、nisaiのモデルをよく頼むさやちゃんだった。
旅の後半でテンションが落ちつつあった気分と、なんだか馴染めない国の気分のなか、うまいだけじゃなく、報告する相手がいるという、一人でありながら、ゆるい連帯を持てるクエスト・ノートという存在が、一人旅の気分活性剤としてまた少し活きた。
店を出た。
トルコは酒もあんまり売ってない。路面の椅子でシーシャを吸ってるおじさんたちや、公園でタバコをプカプカしてるお姉さんたちはよく見かける。
一人でふらふら歩くには気分活性剤が足りない。
道すがらのスーパーでコカ・コーラの10分の1の値段の御当地ニセコーラを買って飲んでみた。本当においしくなかった。幼稚園児が家にある調味料を使って勘で作ったコーラみたいだった。一本バラ売りのタバコも売っていたので買ってみた。甘い匂いがした。せっかくだから、花が咲き乱れる公園のベンチで、タバコを楽しむ現地人のお姉さんたちの群れの中にまぎれこみながら吸ってみた。全然おいしくなかった。

不快感と共にふらふら歩いていたら海辺の公園に辿り着いた。テトラポットに座って、対岸のアジア大陸を眺めながら、ひまわりの種をポリポリ食べてるおじさんたちが楽しそうだった。ひまわりの種って、ああやって、殻をまきちらしながら食べるのがオツなんだな、と思った。
公園の端っこに落ちていた壊れた銃の写真を撮った。
そいつに一番親近感を感じた。

ホテルに帰ってLampの「恋人へ」を流した。
涙が出た。
「旅が終わること」を心からさみしがってる自分に気付いた。 それは、都道府県の半分をバイクで走り、30カ国を渡ってきた人生の中ではじめて出会った感覚だった。 いつも、旅の終わり頃は「ああはやく落ち着く日本/自宅に帰りたい」とホームシックになっていた。 だけど、人生ではじめて、終わることを心から悲しんでいた。
自我を限りなくゼロにすることで、どこにでもチューニングを合わせられる状態にして過ごしてた。異国を楽しく過ごすための処世術が、自国の常識や価値観で旅先の風土をジャッジしないスタンスが、意識的に構築してた風来坊の性格が、日本に帰る日をカウントダウンする中で、少しずつ、日本用のペルソナに戻そうとしてる自分が俯瞰で見えた。
本当はこのホテルの窓から見える建物、道、そこを走る子どもたちの風景だけで、あとはノートと音楽と缶ジュースでもあれば それで十分なくらい、豊かだった。そんな旅の日々を2カ月間過ごしてた。
そんでそんな日々がもう終わるとわかってたから、感動の閾値を調整してた。だからマジでなにもかも楽しくなかった。世界遺産のモスクの中で、意匠を眺めるでもなく、爆音のアザーンに異国情緒を感じるでもなく、イヤホンで耳をふさいで、地元静岡の本当に振り付けがダサくて大嫌いだった民謡「チャッキリ節」のダンス動画をYouTubeで鑑賞してた。そんで兄にリンクを送って「マジダサかったよね」「でも逆に癖になるよね」とか話してた。そこらへんに落ちてる銃のおもちゃに自分を重ねて悦に浸ってた。カスの旅だった。そういう遊びは自国でも出来るから。そうしてた。強烈な落差を発生させないように。調整してたつもりの調整。それが、音楽でバグった。
いい国だった。いい旅だった。またこんな時間を過ごそう。そう思った1分15秒だった。
クエスト007 “蒙古タンメン中本を超える中本みたいな麺料理を見つけて来て下さい”
クリア