普段はPCを用いていわゆる実験的な音楽(実験的な音楽って何だよ、本質はどこだよ、みたいな議論がW杯とオリンピックの間ぐらいの間隔で各所で行われる面倒なジャンル)を制作している身なので、どういう音楽を聴くの? とたまに問いかけられます。
日常では興味のままにあれやこれやと雑多にリスニングしている訳ですが、ときおり琴線に触れすぎるものを聴くと途端にJ-POP/ROCK一色になって、一日中そればかり聴く期間が年に数回発生します(最長1ヶ月ぐらい毎日ずっと聴いている)。
特に感情に直に刺さるような良質なMVがそれに付随してくると、病的なリスニングに拍車がかかります。最近またこの発作を起こさせる作品が出てきたのと、この作品が出てきたことによって私の中の新・3大エモい(死語)MV(正確には1つはMVではない)が確定したのでここでお披露目させていただきたい。
しかし人は何故、文章を書くことによってちょうど良い塩梅を見失うのだろうか(この一文、別の意味で本文の伏線になっていた……)。日本語の書き言葉は若干ナルシスティックな方が収まりが良く、リズムが流れ、筆が進むのでこうした文体になってはいるが、実際は三大寝る前に布団の中で見てると泣きそうになっちゃうんだよこの動画、みんなも見てくれよ~ぐらいのテンションなんだよな、な?
あと、こうしたいわゆる商業音楽を嗜好していると資本主義的なバイブスへの反動として勝手に幻滅する人種が出てくるが、資本主義は最大派閥の宗教なので(ウェ~バ~)、まず敵わない。資本主義、最強、近現代の覇者、もはやヨグ゠ソトース、資本主義を打破したいのなら現状を認識して、次の次のそのまた次の世代ぐらいで若干芽が出るか出ないか、くらいのスケール感で生きろ、局地的な流行は持続し得ない、海外セレブの一挙手一投足に思考を割くな、フラワームーブメントの芥から無駄に髪を伸ばすな、こっちの方が本気だ( ´▽`)
前置きが長くなりましたが下記が新・三大です。
内容に言及するのであらかじめ品目を並べておきます。
1.ムーンライトリバース/リーガルリリー
2.3月のプリズム/bonobos
3.ネイティブダンサー&ばらの花マッシュアップ
1.ムーンライトリバース/リーガルリリー
登場人物は3人、画角は4種類のみ。基本的には杉咲花が4:39化粧をしているだけなのだが、それで十二分。
当たり前だが端的に言って曲が良い。私はリーガルリリーを全く聴いてこなかったのだが、その分もあってかとても新鮮に驚くことができた。
まず入りから「きらいきらい愛してるよ。ねぇ。」である、これは惹き込まれる。
絶妙に聴き馴染みの無い言葉選びがされた愛の歌で、なおかつネガティブな印象を与えるワードが散りばめられつつサビで高らかに歌われることもあり(「傷跡が、口を開けた」で1サビが始まる)、終始なにか含みのある空気感がミドルテンポで情感的な曲中に漂っている。
また曲の構成がAメロ→Bメロ→サビa(バンドin)→サビβ→Aメロ(ブレイクあり)→Bメロ(サビ前アレンジあり)→サビa→大サビa(転調😭)→大サビβ→大サビγ(Cメロ?)と性急さを感じさせる微妙にトリッキーなものになっており(2回目のBメロからサビaのシンコペーションや、ブレイクから大サビaで転調する流れがこの構成に非常に良くはまっている)、ミドルテンポの4:00(MVでは無音の時間があり尺が違う)だがまったく冗長さを感じない、あっという間に、なんなら少し物足りないくらいの塩梅で曲が終わる(prod.亀田誠治だった、天才すぎ~)
。
ムーンライトリバースという曲名もとても良い。直接的な反語はあまり用いられないが、感情的反語とでも言うべき言葉使いで前後左右に揺れ動く心の様が感じられ、また、それが反復する精神状態であるということが曲名によって強調される(語源は「ティファニーで朝食を」からの造語?もしくはハチミツとクローバーのリカさん?)。曲の終盤一箇所だけ曲名が使われるが、その箇所に曲名を持ってくる構成も見事で、それまでに登場しなかったメロディとともに歌われ、非常に耳に残る。
前述した何か含みのある空気感と歌い上げるサビ、構成や曲名その他複数の要素から(サビで2度登場する「雲の合間、ちぎれた空」という一文もかなり良い。心の揺れと日常風景がリンクしている感覚を与える)有り体な言い方ではあるが張り裂けそうな心情が聞いて取れる。
楽曲の話ばかりになってしまったがこのような曲調に対して細かなデザインはあれど、極めてシンプルな映像を当てたことがまた素晴らしい。
杉咲花のアップから始まり、どういったシチュエーションで、どういった背景があるのか徐々に分かっていく構成になっているのだが、度々記述している“なにか含みのある空気感”がここで上手く作用している。ほんの少しの違和が映像から常に発せられていて(似たようなシチュエーションを経験をしたことのある人間はすぐにピンと来るかもしれない)、情感的な曲調に対する映像の穏やかさは一見ギャップがあるように思えるが、むしろその差異が全体のダイナミクスに繋がっており、“張り裂けそうな心情”が見事に(視聴者に補完させる形で)表されている。
言葉選びとテンション感で揺れる精神状態を歌い上げる楽曲に対して、極めて情報の少ない静的な映像という対比が非常に効果的で、その構図がさらに楽曲の持つ情感的な要素を増幅させる巧みなバランスである。是非ご覧いただきたい。
……リビドーで書いていたらまた長文になってしまってきている。前回の難聴レポートは長くて読めないというクレームが入った。無計画さが人生を彩ると言えど、このままでは二の舞を踏んでしまう、ということで後の2作品は来月になります。対よろです。