Part.2です。
Part.1はこちら
さて年の瀬ですね。
私は忘年会をとても好ましく感じておりできればすべての忘年会に参加したい人間なのですが、今年は同日程に5つの忘年会が発生し、そのうえその日はイベントに出演するためどの忘年会も出席できない可能性が生じています。
これ程悲惨な話は創世以降見たことがない、今もっとも憐れな人間と言っても差し支えないでしょう。忘却は美徳、人類に備わる非常に優れた脳内動作(優れているということはそれだけ悲劇も生みますが、感情と機能は相関ではないので優れていることに変わりはない)で、それに纏わる会合に参加できないということは人間性の放棄に等しい(あ、偶然タイトルのけものに繋がった、嬉しい。一筋の光明が差し込んだ)。
しかして忘れ難いトピックというのもこの世の中にはいくつも存在し、多くの人々の心に爪痕を残すものといえば戦争や災害でしょうか。私は東日本大震災の折に親族が被災しており、震災後の影響で親族の関係性が歪んでしまったことや、今は亡き祖母が身体的にも精神的にも負担を感じて見る見る弱っていった様が忘れられず(感傷的なニュアンスではないです。人間ってもろいんだな、という驚き)、直接的な被害はなかった身ですが、これらの事実が強く記憶に刻まれています。
Part.2で紹介するのはこの震災に内容が絡んでいる楽曲です。
1.ムーンライトリバース/リーガルリリー
2.三月のプリズム/bonobos
3.ネイティブダンサー&ばらの花マッシュアップ
2.三月のプリズム/bonobos
まずもって曲が物凄く良い。全体を見ると最早Queenか? と言いたくなるような複雑かつドラマティックな構成で、かなり壮大な造りではあるが歌心と歌詞の内容(素晴らしい)、内包するトピックのベクトルすべてが作用し合う見事さ、各パートもこの形でまとめ上げて整合性を保っていることが凄い。
6:20分程度の楽曲かつ、多要素が絡んでくるのでパートごとに記述していく。
・イントロ〜Aメロ〜Bメロ
アンビエンス重視で音数少なめなフレーズのエレピとアコースティックギターで弾き語り始まり、そこから2回しでドラムインなのだが、すでに面白い。
「りんごがね、今年はそれそれはそれは、見事に、染まったという」という主題の掴めない歌詞に少し節の効いた歌い回しで、若干民謡や童謡を思わせるような雰囲気。そこにこの頃(2014年)から日本でもスタンダード化していくネオソウル気味のよれた(風な/譜割の問題なのでテンポはよれないんですよ)ドラムが入ってくる。
このグッと引き寄せられるが今ひとつ輪郭の掴めない構成と歌詞(「なきべっちょらにずっと降り注ぐのが、良いことばかりであることを願い」など、方言混じりで一聴すると聞き取れない部分が散りばめられている)で進行しつつ、徐々にリバーヴが深くかけられていく。
・1サビ
シンプルな言い回しでお恥ずかしいのだがサビのメロディも凄く良い。あまりほかでは聞けないようなバランスの民謡感というか、ソフィスティケートされすぎず、しかし土着感も強すぎない、それでいて絶妙な塩梅祝祭感。
そしてサビの最後でようやく何をモチーフにしているのか分かるのだが、それは「そして千年の一瞬を狂った渚に、まっさらな明かりがつくのを見よう」という歌詞、つまりは津波のことだ(この前に登場する「悲しみに“どっこいせ”と土を盛り」の箇所で歌の譜割りとユニゾンさせた太鼓を思わせるフィルの装飾がニクい)。
初めて聴いた時、この曲以外であまり歌物の音楽ではなかった経験だが、小説や映画において、伏線が回収された際に直ぐ回収位置から見直したくなる衝動と通ずる感覚に駆られた。
・2Aメロ〜2Bメロ〜2サビ
1サビ終わりのスネアディレイを契機に一気に曲が進行(変化)していく。Aメロからのレイドバックしたビートと民謡的な揺れのあるフィールから一転、チェンバーロック調なスネアの頭打ちが開始され、それまでなりを潜めていたエレキギターのストロークが16分の刻みで表に出てくる。またこの辺りでイントロから伏線として薄ら鳴らされていたピアノの短めなフレーズが少しづつ耳に残るようになり、歌詞ではタイトルに通ずる「三月はプリズム〜」という一節が登場する。
(1サビからのクライマックス感の一つとして曲名と同様のフレーズが用いられるパターンもあるが、本作ではガラリと曲調が変わっているため、ここからこの曲が本当に始まる、という認識効果をもたらしていると私は感じる)
元々の揺れていたフィールから上記の構成に移行することで、楽曲の推進力が何倍にも高まる。また2サビでは「わたしたちはたまさか交わり そして友だちになった」という至極シンプルだが、多くの人間にとって普遍的な希望の一節が歌い上げられ、1サビと同様の歌詞に向かっていくのだが、1サビの段階では感傷気味であった曲調が一気に高揚的なものになる中で同様の歌詞が歌われるコントラストは見事な構成で(特に2サビでピアノのアルペジオが存在感を増す展開が効果的)、否が応にもカタルシスを感じざるを得ない。
・3Aメロ〜ブリッジ
2サビからまたガクッとレイドバックし、1Aメロの感傷気味な揺れるフィールに回帰する。ここでも歌詞内容と曲調の相互作用が素晴らしく「時間の速過ぎる流れにも、意味があるというのか、思い出も、ぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な、未来にさえ」と、人間が自然同様に抗えない対象である時間への無力さがよく表れている。
また、前後の極端なフィールを行き来する楽曲の特徴が演奏ありきのものではなく、歌の主題を表現するために用いられていることがこのパートで見てとれ、この後3サビで大きく跳躍するための飛距離を設けるのと同時に楽曲全体に説得力をもたらしている。
3Aメロ後、ブリッジの1拍目でエレキギターは歪みをかませたうえでハーモニクスを鳴らし、ピアノは再び2サビで用いたアルペジオをグッと前面に押し出してクライマックスを予感させる。このパートだけ抜き出すといささか性急にも思えるアレンジも、それまでのダイナミックな展開の影響ですんなりと、しかし確かな驚きをリスナーに植え付ける。
また上記した「思い出も、ぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な、未来にさえ」という一節が直前に挟まれることで、この展開が楽曲のストーリーとしても自然であることがデザインされている。
・3サビ〜アウトロ
いよいよクライマックスだが、1サビ2サビとも全く別のアレンジになっている。
つまりこの楽曲は3回登場するサビがすべて違うアレンジで進行しており、構成としては組曲的と言っても差し支えないだろう(歌のメロディは大きく変化しないので、ポップネスが保たれてはいる)。
この点に対しては導入部でQueenの名前を挙げたが、国内でそこを大きな参照点の一つとしているサカナクションがふと思い浮かんだ。彼らの楽曲の場合はダンスミュージック的な反復とオペラ的なコーラスワーク/ストリングス/リズムアレンジのキマイラ感に面白さの妙があり、そこまでサビ部分で大幅なアレンジは用いられないが、例えば『目が明く藍色』という楽曲のトリッキーな構成は(ほかにも凄いアレンジの楽曲多々あるが)近しいものがあるかもしれない(サカナクション大好き)。
チェンバーロック/ポップで言えばROTH BART BARONも比較対象として挙げられるだろうか。彼らも楽曲によって直接的ではないがレイドバック(的な譜割)したリズムを用いたうえで(ストレートなドラム的サウンドではない)、民族民謡的な(北欧やアイリッシュなニュアンスの方)節の歌回しを行うことがある。ただ彼らの場合はこの文章で言うところの揺れるフィールの曲調をじっくり構築し聴かせるアプローチがメインであり、兎に角美しいメロディと琴線に触れるオーケストレーションに祝祭感、そしてそれらを際立たせる引き算のダイナミクスが素晴らしい持ち味であり、また別の話か(ROTH BART BARON大好き)。
話が逸れたが、3サビともガラリとアレンジが変わり、反復せず進行していく構成は楽曲全体に推進力をもたらしている。
1サビで津波(とそれに纏わる事象)に対しての感傷を想起させ、2サビでそこに一筋の光が刺し、少し前を向き始める。ここで重要なのがいずれにしてもリズムやコードのベクトルは速度が変わりつつも常に前進しているということだ。
何故それが重要かというと、3サビでさらに発展するピアノのフレージングはかなり強烈な32分音符のアルペジオであり(リズムだけで言えばOPNを思わせるようなシーケンス味)、ここまで登場しない刻みの数で音高が乱高下するこのフレーズはそれまでの前進していたベクトルが、2サビで差し込んだ一筋の光と共に上下左右に拡散し、過去未来現在の辺り一面に乱反射する確かな希望へと昇華していくようなクライマックスへ結び付くからである。
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曲の説明/分析だけでこんなに文量使ってる!!!!!!!!!!!
文章長すぎってこの前言われたばかりなのに!!!!!!!!!!
MVと楽曲の関係性はPart.2(2)を設けて行います!!!!!!!