*2023年2月7日に公開したnoteを加筆修正したもの。
1
私は最近,恋愛をしている。
この数年,そういう気持ちとまったくご無沙汰して生きてきたから,どうすればいいのかよく分からない。ウチの話聞いてくれん?
さして興味がないひとには,取り繕わずに,カッコつけとはまた違う,私の気取り屋さんな部分を自然に明け渡せて,それで気に入ってくれるひとだけが勝手に周りに残ってそれでオーケーだったのに,いざ相手を目の前にすると,身体がどうしても強張るんだよね。会うたびに緊張する。
でも,さしあたり,いまは十分に楽しい。好きなひとができて,嬉しい。隣を歩いてて恥ずかしくないように,ふだんからお洒落するようになった。週末に会えるから,仕事を頑張れるようになった。新しい音楽や本もどんどん取り入れたいと思う。てか,なんかちょっと良い男になってきた気すらしている。恋愛ってサイコー! 私はポジティヴ・マインドなのである。浮かれポンチではない。ポジティヴ・マインドなのよ。
2
山田詠美を読んでいるとにやにや笑いが止まらなくなる。
「読書の快楽」とかいう,わたしにはなんら無縁の,ついでにあなたにもまったく関係のない言葉がありますね。変な言葉って変な人たちにもてはやされているね。まあ飲もうや。この頃私は機嫌が良い。
山田詠美は例外で,私にとって,快楽を読ませてくれる書き手ってわけ。
井の頭公園の池の水を,そっくりそのままジャスミンハイに移し替えられるほど,吉祥寺を酒浸しにしてきたと自負している私だが,A美さんと飲んだお酒の量を勘定に入れなければ,池の水面はみるみる下降し,カモの親子が素潜りをして遊んでいる,愛らしい光景は見られなくなってしまうだろう。
その頃のA美さんと私は吉祥寺に住んでいて,3歳歳下だった私は,夜ごとに北口のロータリー前にLINE一通で呼び出され,貧乏学生も寄りつかないような最低の居酒屋に連れ込まれ,そこからはもうかくのごとく,凄まじい豪雨のように,バケツいっぱいの泥水を浴びさせられるように,飲まされまくっていた。
北口を出発点とした暴風雨は,しばらくはハモニカ横丁やヨドバシの裏手をぐるぐる回って街をめちゃくちゃにしたあと,じりじりと南下して,井の頭公園の植え込みあたりで朝を迎えるのだった。その時の私は,「終電」のありがたさを痛感していた。なんだかんだ言いながら,飲み会を切り上げるための理由になるから。当時の吉祥寺は,夏も冬も異常な低気圧で,年間を通して横殴りの風が吹いていた。破壊された動物園からは毎週のようにリスたちが脱走し,植樹業者は周辺に大量のくぬぎの木を植えなければならない始末だった。
A美さんは太っていたが,男はみな等しく自分より愚かだと信じてやまない高慢さと,私が頼んだ馬肉の刺身を指して,そんな下品なものを頼むのは今後一切やめなさいなどと脅迫するような神経病みの鼻持ちならないやつで,太っているくせにおつまみの類を一切とらず,永遠に他人の攻撃をしながら嬉しそうに酒を飲んでいた(そういえば,A美さんがいつもなにを飲んでいたか,思い出せない。とにかく,一杯目は何にしようかとか,酒の味を褒めるといった会話は,一度たりともなかったはずだ)。
A美さんとはサークルが同じだった。そんな性格だから,ほかの全員から嫌われていて,本人も滅多に集まりには顔を出さず,夜はサークル構成員の呪詛ばかり吐いており、低迷を極めていた。
そんな不躾な女に,会計はいつも必ず相手持ちだったとはいえ,私が侍従していたのは,時折,A美さんが,酩酊のさなかに,つい酔いが醒めるほど冴えたフレーズを口走ることがあったからだ。私とA美さんは,言葉,それもエピグラフや箴言のような,短くて強度のある言い回しに簡単に感じてしまうたちで,私なんかは最高の一節に魂ごと貫かれて予後は不能になっちゃっても結構。というスタンスだから,そんな一節をA美さんが唱えてくれるかもしれない,という可能性に懸けて,かけがえのない学生時代をふいにしていたってわけ。
ある嵐の夜,珍しく小説の話題になった。居酒屋の外では武蔵野市から配給された緑色のゴムボートを漕ぐサラリーマンが,電灯の消えた暗い路地を家路についていた。当時は街のどこでも見た光景だ。私はニラ入りのオムレツを食べながら,A美さんの高校時代の回想に付き合っていた。きっとその日,私が山内マリコの小説を褒めたことがきっかけで,A美さんは山田詠美のテキストを滔々と絶賛しはじめた。山田詠美を読んで,東京に出てきたのだという。私も池袋ウエストゲートパークの原作に感化されて立教大学なんか受験した手合いだった(落ちた)から,それ自体はよくある話で,江國香織じゃないだけましか。と思っていた程度だった。
みずからの“文学的背景”を晒すという,傲慢なA美さんにしては珍しい素直な開示があった夜が明けて,それから,夜中に呼び出されることはほとんどなくなった。
それ自体は特に気にかからず,一年ほどが過ぎた。吉祥寺は災害の惨禍から立ち直りつつあった。ゴム長靴以外の靴が店頭に並び始めたときの感激をいまでも覚えている。といっても,その時期私は小田急線沿いに住んでいて,吉祥寺への関心もあまりなかった。
ある日,新宿三丁目の,グラスなみなみのワインが1,000円で5杯飲めるエスニックで友だちを待っていた。後ろの席の,大学教員と思わしき男は,日本史におけるハンセン病患者が被った差別の歴史について,同席の女性に講釈を垂れていた。こういうの,大学の講義室で聞いてた授業より,ずっとすっと頭に入ってくるのはどうしてなんだろうね。それを聞き流しながら,鞄の中に山田詠美の小説が一冊あるのを見つけて,A美さんのことを思い出しながらそれを読んでいた。それがだんだん,読書どころではなくなって,ページをめくるごとに驚愕したり,深いため息なんてついたりしながら,最終的に私はケタケタと爆笑してしまっていた。明治通りに面したテラス席で,春の陽気にあてられて,頭がおかしくなっちゃったやつ。とか教授先生は思ったのか。
なにがそんなにおかしかったのかというと,もうあけすけに,その小説に書いてあった台詞回しが,吉祥寺時代にA美さんが喋っていたこととまんま同じで,あろうことか,A美さんが使っていたフレーズと全く同じ文句を主人公が喋っているではないか!
それに,なんだか主人公が考えていることまでA美さんのコピーのようで,いやいや,順番がおかしいだろ,こっちが先だから。なんて思いつつ,もうワインどころではなくなって,Amazonでほかの小説やエッセイも購入し,そこからしばし,私は山田詠美ばかり読んでいた。
山田詠美という女は,ほんとうにうんざりするほど偏屈なあばずれで(奇しくも私の地元が産んでしまった最悪のヤリマン,宇野千代を精神的な師と仰いでいる。という凶悪な連鎖が起きていた),その何から何もがA美さんとそっくりだった。まあ,A美さんに限った話でもなく,黒人に抱かれてみた〜い,とかのたまう女のソースが裏付けられたのは,それだけでも大きな収穫であった。それにしても,恐ろしいほどA美さんは,山田詠美よりも山田詠美にそっくりだった。
ここで私は,ある恐ろしい,ひとつの事実を発見し,頭を抱えることになった。
山田詠美って,吉祥寺に住んでるじゃん……。
それ以来,吉祥寺で飲むさいには,少しだけ辺りを注意している。もしかするとA美さんに瓜二つの,魔女みたいな女が同じ店にいるかもしれない。じゃなけりゃただの悪魔だ。なんとなく,山田詠美とはうまく話せそうな気がする。だっていままでと何も変わらないからね。偏愛しているという岩塩を手土産に,実はあなたのことをよく知っているんです。なんていって冷たくあしらわれてみたい。
山田詠美の書いたものを読むとき,ひどく底意地の悪い顔をしていると思う。品性のかけらもない,大声で爆笑する一歩手前の,下衆のような顔。偉そうな顔して,私をガキ扱いしてこき使って,ディレッタントを気取っていた女のすべて。宴会も佳境に突入し,ばっちり悦に入ってるときのわたしの笑い方はかなり下品で,ゲハハハ と笑う。南国のでっけ〜トリを想像してほしい。何もかもが虚飾と愉悦で満たされていて,もうワインが入り込む余裕がない。そんな時間はほかではありえない。いまでも私の最高の友だちだ。胸を張って最高だと言う。種明かしをしてくれて,本当にありがとう。それだけは本当なんだからね。
3
とりわけ冬季は朝が弱くて,始業の前にノンシュガーのレッドブルを流し込まないと,頭が回らない。駅を降りたらセブンに入って,ノンシュガーのレッドブル。コーラもだけれど,砂糖抜きの飲み物選ぶやつって,なにか後ろめたいことがあるんだろうね。
会社まで歩くなかで,背の高い白人と毎日すれ違う。栗色の巻毛を短く刈っていて,襟を立てたウールのコートを着ている。私の会社は相当に始業時間が遅く,他人から驚かれるが,この時間に駅に向かっている彼はなんの仕事をしているのだろう。
気になるのが,彼が携えているピンク色のモンスターエナジーで,それ以外は決して飲まないという徹底ぶりを,この一年間間近で見せつけられていた。我々の最寄駅はなにもない広大な住宅街で,コンビニは駅前にしかないから,彼はモンスターエナジーを箱で買って,冷蔵庫にキープしているのだろうか。気になる。閑静な住宅街に,うつっぽい顔した白人が,毒々しいピンクの缶を握っていて,浮いている。私も,空色のレッドブルしか買わないので,すれ違いざまにわざと缶を呷ったりして,コンタクトを試みているのだけど,今のところ完全に無視されている。もてる女なら,明日はおそろいの色にしてみるのだろうが。