ヒューマントラストシネマ渋谷で『ナミビアの砂漠』を観ているあいだ,通路を挟んで隣に座っていた男はずっとスマートフォンをいじっていた。映画館で携帯をいじる人間をはじめてみたので,横目で観察していた。私もこの映画に飽き飽きしていた。
男はどうやら,映画のメモをとっているようだった。文字を入力するスピードは,普段の私の5倍は早いだろうか。映画ライターか何かかと思ったが,『ナミビアの砂漠』は公開から一カ月が過ぎている。
私はそのあと近くにある「八虎」で,彼女とタマゴとキクラゲの炒め物を食べ,映画の感想を話した。退屈な映画だったから,スクリーンを眺めながらブログにでも書くかと考えていた事は,そこですべて話して,すっきりしてしまった。
皮肉屋さんの言い方を真似すると,映画を観ることよりも,映画を観てなにを解釈したかが注目されるこの時代に,『ナミビアの砂漠』はよく似合っている。私はそういうことにのれない。「お前の解釈が,なにになるんだ」と,独裁者みたいなことを思ってしまう。
それと同時に「お前が何者かがはっきりしたとこで,なにになるんだ」と思う。それから「貧乏くさいし,頭悪いし,暗いし,いいことなんもねーな」とも。
我々世代は,生まれながらにニヒリズムを携えて生きているんじゃないの。ってよく思うけど,それとはまったく別の問題で,幸せを望んだり,感覚や指先だけで生きるんじゃなくてもっと想像力を働かせてみたり,わかり合おうとする努力を捨てちゃダメなんじゃないの? 本当にダメになっちゃうんじゃないの? と思っている。
「カナ」みたいな女,実際めちゃくちゃいるし,苦手だ。
「カナ」は私のことも苦手だと思うはず。
「カナ」みたいな乾いてる女と付き合う男も,いやだな~。こっちは逆に,ネチョネチョしてて。
感覚で他者に評価を与えるあたり,「カナ」と私は同じなんじゃないの。と思うだろう。私も感覚で生きているからね。それは認めるしかない。なんかでも最近私も社会にもまれて前よりずっと乾いてきている気がして,それがいやなんだよね。