数カ月,全然お酒を飲んでいなかった。私の基準値でいえば,お遊びみたいな飲酒量に留まっていた。昨日ひっさしぶりに記憶を飛ばすまで飲んだ。このところ毎日がつまらなかったから,事態を変えるため,明確な意思のもと飲酒に臨んだってわけ。そういうニーズを叶えてくれるのは,吉祥寺だと美船とかになる。通い続けて5年は経つか。私もこの店も変わんないね。吉祥寺だけがグルグル変わってくね。南口の駅前通りはなんの変哲もないアスファルト舗装だけど,ちょっと前までは煉瓦敷きだったんだよ。そういうこともすぐに忘れてっちゃうわけ。どうせなら煉瓦のうえを歩いたほうが楽しいでしょ? でもこの町はどうしようもなく変わっていくの。変わり続けることを選んだっぽいから。
まあ見事に奏功し,とりあえず午前中のうちは調子が良かった。二日酔いは私の善き友人である。頭痛・軽躁モード・性欲の上昇・連合弛緩・幻聴などを経たのちに,がぜん無敵状態になる。窓の外の景色が即時につながりを持たないテキストデータに変換されて私に文章を書かせる。たいていは支離滅裂だが,そういうのは落ち着きが戻った夜にでも手直しをすればいい。
午後,効果が切れてきてぐったりする。まあ,午後は仕方ない。午後は退屈だ。仕事でもしようかという気持ちになる。
数週間ほど自炊が止まっている。学生生活が終盤に差し掛かり、下宿先で過ごす時間が少なくなっているからだ。かつてアルバイトをするための準備をしていた時間にはもうキャンパスに到着していて、かつて夕飯を食べ終わっていた時間にもキャンパスにいる、みたいな状況である。もっと早くからこんな生活をしていればよかったなーって思ってます・充実しているから・20歳前後のわたしはルーチンを維持することにしか関心がなかった・それで言うと少なからず今もそうだと思うけど。
2020年の4月からひとり暮らしを始めてからついこの間までコンスタントに自炊を続けていた。週に数回は近所のスーパーへ買い出しに行って、冷蔵庫に食材を蓄え、夕飯の時間が近づくとレシピを見たり見なかったりしながら自分のために調理をしていた。ほとんど絶え間なく。最近このルーチンが止まって、なんでこんなことをしていたんだろうとこれまでのことを振り返っている。もりもり野菜を食べるとうれしくなるから、調理をすると気持ちが穏やかになるから、自炊をするくらいしかやることがなかったから。いくつか理由が考えられそうだけれど、自炊をするということに決めていたから、というのが大きいような気がする。それは習慣になっていて、特にやらない理由が見つからなかったから。
それでいうと、おれは自炊を「セルフケア」の文脈で捉える状況にそんなにノれていない。このことについては、『現代ビジネス』に掲載されていた難波さんの論考が大変興味深かったです。そもそも「セルフケア」に対してもやや懐疑的です。このことについて考えるときはいつも、八月さんのブログに投稿されたエントリーを思い出します。
とにかく、2020年の4月からほぼノンストップで続けていた自炊は、わたしに何をもたらしていたのだろうということが最近の関心ごとのひとつだということです。それ以上でもそれ以下でもなさすぎる。でも4年半も習慣になっていたことが止まると変な気持ちになるということが分かった。パンデミックと学生生活が同じタイミングで始まったので、気持ちが落ち着くことがそれしかなかったという話でもありそう! 当時のことを考えるとしんどくなるのでやめておきます。
今晩は久しぶりに夕飯を作りました。長谷川あかりさんの豚と大根の香味あんかけごはん。簡単でめっちゃおいしかったのでよかったです。てか「ご自愛ごはん」ってなに! ありがとうございました。