着く時間が変わらない? 関係ない! 電車に乗り込め! 寝る。寝ることとは持続だ。変化し続けてろ。人間である限りな……、カントのように寝坊ぐせのある彼は言った、構成力を失うな。散歩? それは馬鹿げた、ある意味で補足的な、些細な、取るに足らないことだ。散歩なんかほんとうはどうだっていい。散歩が歩くことならば、一体目は何になれるというんだろう? あるいは身体は? 私はそれがあんまり好きではない。散歩には歩き以上に重力がある。石は路面に落ちている。家々は柱を立ててなんとか保っている。私は歩いている間、馬のように地面から浮きはしない。もっとも、何世紀か前は馬も浮かなかったらしいが……。
P.S.
太宰治の『人間失格』の韓国訳の表紙はエゴン・シーレの肖像画・自画像なの、笑えるよね……(フツカヨイの文学 その1)
あおい屋根でランプをつくる あをいけもの/中村冨二
たまのさんが前回分を読んでくださったうえ、「vaporwave的なある種のノスタルジーの再/脱構築な感覚はそれこそ短歌/俳句にも指摘可能な部分で本邦のトラディショナルは短詩型の現代アレンジメント全般に言えることで川柳だけに限定する理由付けとしては若干弱い気がしてしまいました」*1とのご指摘までくださった。ありがとうございます。
まったくその通りで、西脇がその他短詩型にうといばかりに絞り込めていなかったところを、的確に教えていただきました。「vaporwave的なある種のノスタルジーの再/脱構築な感覚」およびその魅力は、たしかに川柳に限った話ではないし、もっといえば短詩型に限った話でもないのでしょう。カニエ・ウエストの大・大ネタ使い、「名盤再現ライヴ」、岡崎京子再評価、レトロポップブーム、などなど……。編年でカルチャーをつかむのではなく点でつかんでしまえるし、それが一般化されたいま、この「感覚」は、いままさにカルチャーに興味を持って自身の世界を広げている人たちにとって、OSのごとくプリセットされた「感覚」ですらあるかもしれない。
と、深める前にちょっと立ち止まりたい。
同じく前回分を読んでくれたササキリさんから、「にしわきさんもたまのさんも、なにいってんのかさっぱりわかんなかったっす」とのご意見を頂戴したからだ。ありがとうございます。
これこそまったくその通りで、なんと前回、ヴェイパーウェイヴの説明をいっさいしてなかった。そりゃ急ぎ過ぎだし、一度これを確かめておくことで、より精度を上げて比較に臨めるかもしれないから、ご存じのみなさんももう一度、ヴェイパーウェイヴについて確かめておきましょう。
前回も名前を出したヴェイパーウェイヴの本、佐藤秀彦著・New Masterpiece編『新蒸気波要点ガイド』によると、
「Vaporwaveヴェイパーウェイヴ。2010年頃からインターネット上で生まれた音楽ジャンル。主に1980年代のAOR、スムースジャズ、ミューザックといったジャンルの音楽をサンプリングし加工(スクリュー、ループ、ピッチ変更)させたもの」(p.81)
……さらに注の要ることばがたくさん含まれている……。
えっと、AORはAdult Oriented Rockの略で、ギターをガーン、みたいなロックとは違い、アレンジも構成も複雑な大人向けのロックのこと。スティーリー・ダン*2ですね。ミューザックはアメリカの会社の名前で、そこが作っている、スーパーとか工場で流す業務用BGM*3(名曲のシンセアレンジみたいな、耳に残らないやつ)のことも指します。スクリューもだいじ、これは曲のテンポを大きく落として、ゆっくりかつピッチの低い、不気味な音像に変えてしまう手法。この技を編み出したDJの名前からスクリュー、と呼ばれています。ヴェイパーウェイヴでは必須の手法です。
……つまりヴェイパーウェイヴとは、ある限られた年代の音楽(AOR、スムースジャズ)、あるいはそれと同様の懐かしさを誘う音楽(ミューザック)をネタに、それを刻んで、スクリューして、ループさせてつくられる音楽のこと、らしい(ネタとされる音楽の範囲はその後拡大し、同年代のゲーム・アニメ音楽や、テレビの音声なども含まれるようになります)。
そしてその特徴として挙げられるのが、「商業的音楽を解体することで資本主義や消費主義への皮肉を表していると言われるが、同時に在りし日を懐かしむ郷愁的ムードを持」(p.81)つ、ということ。
皮肉の部分については批評する側がそう指摘した、という部分が大きく、実作者にその意識が共有されているわけではないようです。が、ヴェイパーウェイヴの楽曲自体にあまりに元ネタがぶつ切りのものや、投げっぱなしで終わるような曲が多いため、聞いているとそう感じられなくもない、とは言えます。
試しに░▒▓新しいデラックスライフ▓▒░(アーティスト名!)の『▣世界から解放され▣』(作品名!!)を聞いてみてください。短い中でその特徴がよく分かると思います。古いCMがもたらすノスタルジー。それをスクリューして、ぶつ切りにして、ループさせて、中途で放り出す。破壊行為と言えば破壊行為でしょう。
そしてもうひとつの特徴、郷愁については、MACINTOSH PLUSの代表曲”リサフランク420 / 現代のコンピュー”(これが曲名!)を聞くと分かりやすいかと思います。
怖いですよね。絶妙にスクリューされた心地よいループに、いつの間にか無い幼児記憶を植え付けられ、懐かしく思わされているような気持になる。しかもループのせいで、永遠にここを離れられないような不安も生まれる。しかしながらあえてこの沼に(ときにはウィードなどたしなみながら)はまりこみ沈み込む快楽が、この音楽の抜けがたい、偉大な魅力でもあったわけです。
皮肉、破壊行為、郷愁。
ここまで絞ってみると、現代川柳特有の要素が、実はかなり近く見えてきます。
その特有部分の共通をもって、現代川柳=ヴェイパーウェイヴ、とまでは行かなくとも、2つがかぎりなく類似していることを確認したい──ところなのですが、すでに紙幅が大幅オーバーです。この続きはまた来月……。コイズミデスクハスーパースーパー!
*1 https://x.com/yvk1tamano/status/1823146120618606966 ↩
昨日の夜自室を真っ暗にしてきのこ帝国の「春と修羅」をマックス音量でスピーカーから流したらきもちよかった。この曲を再生したのはいつぶりか覚えていないくらいだけど,高校のころにきいてた音楽を今でもたまにききたくなる。その晩は,そのあともほかの懐かしいバンドの音楽を流して,睡眠薬を飲んでいたのに気分が高まって寝られなかった。
それこそ高校の時から音楽には一番強い関心があった。いまも多分そうだが,音楽をきく時間は減っている。高校のころは寝てる時間以外はずっと音楽をきいていた気がする。いまと違うのはTSUTAYAで借りてダビングした同じアルバムを延々と繰り返しきいていたことだろうか。凛として時雨の『#4』とか,NUMBER GIRLの『NUM-HEAVYMETALLIC』とかが真っ先に思い浮かんだ(セックスと同じで,一人の相手と何百回,何千回と繰り返しやらないと見えてこない景色がある)。
えー、寿司と薬はジェネリックに限る。なんてね、巷では話題ですが、一体全体ジェネリックってぇのは何者だい? って大将に御婦人、はたまた犬っころも、あー、まだまだ見かけますな。
じゃ、ま、話し始めならぬ筆、いや、打鍵始めに天下の東●薬品さんのホォムペェジから一節拝借しまして
ジェネリック医薬品の「ジェネリック:generic」とは、英語で「一般的な」という意味を持つ言葉です。
欧米では、お医者さんがお薬を処方する際に、商品名ではなく一般名(generic name)を記載するケースが多く、後発医薬品を「generics:ジェネリック医薬品」と呼んでいます。それが、世界共通の呼称となり、日本でも「ジェネリック医薬品」と呼ぶようになりました。
へー
ここまで、全く関係ない話です。今回はジェネリック寿司について書きます。ライトに書くとはそういうことです、ジェネリック寿司について書くと決めた時、頭に思い浮かんだ「寿司と薬はジェネリックに限る」という一文を走らせたかっただけです。
早速本題、それじゃぁお前さんジェネリック寿司ってのは一体何者だ? ってことですよね、ついてきて下さい、本物のジェネリック寿司をお見せしますよ(バラドックス)。
つきました、都内在住の方であれば皆さんご存知「まいばすけっと」です。店内には野菜、肉、冷凍食品や日用品、インスタント食品のコーナーと目白押しですがおにぎりのコーナーに進みましょう。おにぎりコーナーの下段、ないしは隣接棚の大抵下段ですね、見えますか?「徳用にぎり14巻 ¥599-(税抜)」の姿が、あれがジェネリック寿司です。
内容物は玉子、イカ、エビ(蒸し)、えんがわ(っぽい別の何か)、カニ(かま)、穴子、サーモン、サーモン(トロ?何か皮がついてて、ちょっと脂が乗っている風)がそれぞれ2巻ずつ入っています。素晴らしいですよね、マグロをあえて抜く選択。代替品としてのサーモンにバラエティを持たすことで、オルタネイティブな寿司のルーティンを購入者に提示しています(サーモンを卑下している訳ではありません、寿司を食うのにサーモンなんぞ頼むのはガキの振る舞いだ、と笑い飛ばされる様な時分から私はサーモン好きです。味わいが全く違えどマグロの下位互換的な認知が頭に過ってしまうところも含め、深く愛しています)。
ネタの絶妙なライン(これより上等でもいけないし、これよりグレードが下がっても食指が伸びない)は勿論、何よりも私の心を掴んで離さないのがまるで玩具の様な、米の一粒一粒が立っている、立っているというか、全く関連性の無い一粒同士がそのフォルムを崩さないまま無理くりに固められている様な歪な質感のシャリ。この状態を堅苦しく記せば、独立した個の集合体、直訳するとStand Alone Complexですね。追悼の意と無駄な含蓄が含まれて硬そうなシャリ、実際オルタネイティブから王道に平行移動した回転寿司のシャリより遥かに硬いです。昔のコンビニおにぎりのそれに近い、それが良い、良くないことが良い、逆回転の引力が人生にグラデーションをもたらすことは言うまでもないでしょう。
先にシャリについて詳しく述べてしまいましたがネタもね、前文見ていただければお分かりかと思うんですがフェイク感がありますよね笑 この方向性であればエビが蒸しなのは間違いない選択ですし、カニはかまでfix。エンガワっぽい何か(オヒョウかカラスガレイ? 最近の事情は知らず)がフェイクさに厚みを加えています。ここまで言ってしまうとアレなんですが、サーモンは恐らくニジマスですし、穴子もマルアナゴかそこら、そうするとリアルなネタは玉子だけ? ポスト・トゥルース、玉子すら代替かもしれない、シャリも米ではないかも。
この辺りまで書いてきてふと気づいたんですが、今ここで説明しているジェネリック寿司の二大要素である、硬いシャリ(≒独立した個の集合体)に実際の名称不明なネタ(≒名称と形式が先行し、内部は代替/変化可能な状態)が乗っかって存在が固定される関係性はほぼ近代国家と言える笑 ジェネリック寿司は国家のメタファーであった、この話の何が私の心を踊らせるかというと、一流の回らない寿司にこれは当てはまらないという箇所ですね。あれはシャリが調和しているし、ネタは出所と実体が確か、そこに共同幻想が発生する隙は見られない、紛うことなき寿司である。
大きく話が逸れた(→)、しかも、まだ肝心の味について何も述べていない、これは痛手囧。味、味ね、鰤、鯖、、。いや、美味いです、間違いなく。当たり前ですが板前さんが熟練の技で握り上げた一貫には敵いませんよ、しかしこれはそういう類のゲームではない。実際はそこまで美味くないかもしれないが、寿司のゴーストを私という義体にインストールする行為は完遂される。つまりジェネリック寿司はひどく現代的な寿司の摂取方法であり、本来の寿司が有するアウラを剥ぎ取った回転寿司からもさらにそのアウラを剥ぎ取るというグロテスクなレイヤーを構築しているという訳です。高価な食事はその体験自体の金額も上乗せされている、というのはよくある話ですが、「ジェネリック寿司14巻 ¥599-(税抜/時折30%引き)」はそうした一切を排除し、寿司(とそれを接種した際の感情の揺れ)の最小構成に焦点を当て、尚且つその他のパッケージングされた持ち帰り寿司には見られない絶妙なバランスを備えたジェネリック寿司、いわば寿司界のカロリーメイトと称すべきクリティカルな逸品となっています(褒めです)。
そしてジェネリック寿司はその存在によって、ジェネリックではない寿司が属性に塗れていることを浮かび上がらせます。私たちはこの属性込みで食事から満足感を得る訳ですが、それらを持たない(ジェネリック寿司を摂取しているという属性はどうしても付随してしまうが)ジェネリック寿司はいわば純粋な寿司体験であり、本質的に寿司を摂取したければ今すぐまいばすけっとに足を運び、安酒で流し込みましょう。この文章はそのために書かれているのだから。
iTunesにある不明なファイルをクリックすると、ポスッとだけ音が鳴って終わった。0:01秒のキックのサンプルだった。このPCの塵データが、iTunes上で思い出のアルバムたちと同じスペースを占拠しているのはどうにも理解できない。
清原に倣って言えば、「NOディスクNOガイド」、第2回。今回はサンプルの話だ。
DAW(Digital Audio Workstation)上で音楽を作ったことのない方にも説明すると、現代の作曲(この場合はトラックメイキングを指す)において、多くの作り手は「サンプル」と呼ばれる音素材を画面にペタペタ貼り付けて曲を作っている。その音素材は個別に販売されることもあれば、自家製で作ることも、ネットの隅から探し出すこともある。素材を切り貼りするだけで、人を嗚咽させることも踊り狂わせることもできると知った人から順にトラックメーカーになる。
そのため、多くのトラックメーカーのハードディスク内の「Sample」と銘打ったフォルダの中には、沢山の音素材や得体の知れないファイルが格納されている。上のリンクは、そんなサンプル集である。トラックメーカー諸氏には何の変哲もないサンプルパックに見えるだろう。これが「Spotifyの配信に載っている」ということを除けばの話だが。
サブスクリプションサービスの配信に載っている音源は基本的に運営側の審査を通った完成品ばかりである。いくばくかの例外を除けば、現代において音楽を聴くということは、「作者が完成品だと思ったものを聴くこと」と同義になっているだろう。
ただもちろん、完成された曲ばかりが配信に載っているわけではない。何かを配信するかしないかは、制作者の意図次第だ。カラオケ・バッキングトラック、(世の中に流していいと判断された)デモ、アカペラなどはもちろん、作者によるオーディオコメンタリー、作業中に流すことを見越して録られた自然の音、何かに使えそうなコミカルな効果音、AIにより制作された楽曲など、サブスクリプションというまだ新しい宇宙には、ありとあらゆるデブリが存在している。
ただ、サンプルとなると話は別である。上記の非完成品と違うのは、曲を作るために存在しているはずのツールが、制作を放棄された状態で流通している不自然さにある(アカペラやデモは、既に完成品が存在している前提で楽しむものだが、サンプルは素材でしかない)。素材が制作という過程を放棄されたまま、完成品ばかりが並ぶ市場に投げ出されているのは異様である。Netflixに『20190415_空_素材』という作品があって、見てみたらひたすら空を撮っているだけだった……。と言えば、その不気味さが伝わるだろうか。
これらのリンクはさらに一歩進んでいる。それらのサンプルを繋げたプレビュー、つまり「こんな音が入っています」と紹介するための音源デモが、さも1分尺の曲のような顔をして配信されている。幸いにも、サンプル素材の傾向が似ているため、頑張れば一つの楽曲として聴くこともできるが、基本的には創作を放棄された音源データであり不自然な音源である。
ありもの全てを収益化しようとする逞しさをここに見ることもできるが、これらの再生回数は基本的にSpotifyの収益化ラインを下回っており、おそらく配信コストを考えると赤字の可能性が高い。
配信者の意図はついぞわからないが、ここに、音楽を創作物/完成品として聴かなくなった未来の人間たちを幻視してしまう。もし、「それっぽいサウンドの要素があれば、作品として完成されていなくても人々は聴くだろう」という意図のもとにそれらが配信されていたとしたら……。
「人間が創作している」というプライオリティがじんわりと低下している今を思うと、やがてそもそも音楽に創作という過程は必要なのだろうかという考えが蔓延していく可能性もあるだろう。これらのサンプルは、音楽が完成していることに価値がなくなった未来の先で解体された音楽の形なのだろうか。サンプル素材サイトが「音楽を聴く場所」として、サブスクリプションサービスに取って代わる日が来るのであろうか。
現時点でこれらのサンプルたちはさほど再生されていないことを考えると過剰な心配かもしれないが、あり得ないことが無くなってしまった我々の未来において、そんな日が来ないとは言えない。今、我々にできることは、今まで通り完成品を愛でることしかない。そんな不明瞭な音楽の未来に希望を持った者たちから順にトラックメイカーになり、今日もサンプルを漁り続けるのである。
ずっと夏が一番好きな季節だったが,最近では好きだと言わなくなったし,あまり好きだとは思えなくなった。きわめて単純に,気温の問題がある。夏生まれとして7月は特別な存在だった。山並みから顔をのぞかせる入道雲を見るたびに胸が高鳴った。子どものころは日中でも祖父母の庭や畑で遊べるくらいの気温だったと思う。虫やトカゲが遊び相手だった。いろいろな生物の名前を覚えた。ハンミョウは噛まれると血が出るくらい顎が強いことが分かった。今年の夏は暑すぎて,蝉も鳴いていないくらいだった。アスファルトの熱気ではハンミョウなんかはたちまち死んでしまうだろう。土の中の幼虫も干上がるだろうに。そんなことを思いながら地元で2,3日過ごした。はたしてこれは「夏」だったのか。と思う人もいるだろう。私もそうは思えない。今年の夏はなんだか不気味な感じがした。
反対に冬は昔から嫌いだったが,今では一番好きな季節になりつつある。
においが遠くなってさびしい
数ヶ月前から嗅覚がない。正確には、においが遠くなった。
2024年5月中旬、オンラインで受けた採用面談の最中に鼻水が止まらなくなった。直前に散歩していたせいなのか、面談に緊張していたせいなのか原因は分からないんだけど、とにかく鼻水が止まらなくなった。そしてその日から嗅覚を失った。全然関係ないけど、オンラインで採用面接するってどういうこと(わざわざ行かなくていいしラッキー♪って思ってたけど、働くってそんな感じでいいんですか)。
2023年初夏におそらく新型コロナウイルスに感染して、味覚や嗅覚を失ったことがある。おそらくというのは、簡易的な検査キットでは陽性を確認できなかったけれども、症状としては明らかにそうだったということです。味覚は数週間で回復したし、嗅覚もそれなりに時間はかかったものの戻った。この経験が今の嗅覚機能のトラブルにどのように関係しているのか分からないけど、いくつかの点で関わっているような気がする。とはいえ過去の体験と現在の状況の因果関係とかは正直どうでもよくて、おれは・いま・においが遠い。これが治りさえすればなんでもいい。においが戻ってくるのにずいぶんと時間がかかっている。まだ遠くにある。
においが遠くなるということは、私の認識できる世界の一部分が欠けるということである。それは私をさびしくさせる。
どのにおいも遠くにある。遠すぎて分からないこともある。焼きたてのトーストの香ばしいにおい、風呂掃除をしたあとの右手のカビ臭いにおい、船岡山を歩くときの木と土のにおい、大学の施設に入ると届く人工的なにおい、紙にメモをするときに生じるボールペンのインクのにおい、体を洗うときのボディーソープのにおい、すれ違ったときの人のにおい、朝起きたときの枕のにおい。夏場の男性の特有の体臭。
数週間前、夏場の男性の特有の体臭に関する投稿が注目を集めた。ちょうど一緒にいた彼女にもまじでくさいと言われたので、体臭をなくすための取り組みに力を入れることにした。普段着ている服をオキシ漬けしたり、柿渋石鹸で体を洗ったり。残念なことに、鼻が悪くてそれらに効果があったのか分からない。やらないよりはやったほうがいいと思うので、これからもよく洗ったりよく漬けたりしようと思う。体臭対策に限らず、そういうこと(効果は分からないがやらないよりはやったほうがいいこと)ってこれからもいろいろあるだろうし。
0901の続き。もういい加減終わりにする。心機一転,明日は中村くんだ。「苦痛を減らしたい」というのは,現在進行形で何かに苦しんでいるということになる。きつい二日酔いの朝,戸棚の隅からロキソニン錠を見つけた時の感動を思い出す(薬で連想したが,「幸福を得るために」ドラッグを使用していた人が,いつの間にか「苦痛を減らすために」濫用を繰り返すという逆転が薬物依存の実相ンゴね)。私は加齢のせいなのか最近はもうなんか常に身体のどこかが調子悪いが,しかし痛みを感じている自分は「生きている」。
we are all alive, and it is painful because we are alive.
私としては,こちらの感覚を信仰していたい。知ることも同様にくるしい所がある。仕事は,知れば知るほどやることが多く,複雑になる。私は今週どこかで会社を休むつもりだ。「苦痛を減らすために」。手首の腱を痛めていて,治りが悪い。ついに湿布のロキソニンまで使い始める。次は坐薬か? ロキソニンが私を生かしている。ロキソニンがなかったら10回は自殺している。こんなナイーブなこと言いたかないけど医療のきわめて充実しているこの国のこの時代に生まれていなかったら,この年まで生きていられなかっただろう。私は社会に助けられている。「生まれてこない方がよかった」という考え方も十分に社会の保護を受けている。保障がついている。
0831の続き。「幸福に生きたい」というマインドのときは,私の場合,すでにある程度満足している場合が多い。だから,知らないことを知りたいとは思わない。0830で書いた②から①へのフィードバックはあまり発生しない。知っていることだけを知っていたい。部屋を締め切っていると眠くなるのは,二酸化炭素の濃度が上がって酸欠状態に近くなるからだと最近知った。「幸福に生きたい」というマインドはそれに近いかなと思う。
基本的にZ世代というのは,こころにニヒリズムを内包しているので(生まれてからずっと景気は悪化し続け,〇と□みたいな変なメガネをかけてるおっさんの言う通り,選挙制度は機能していない),幸福なんてあり得ないと思っている。と,私は思っている。その点でZ世代は仏教と相性がいい。最近周りの人間が何人か改宗したのも,それが関係しているのかもしれない。
それなのに「幸福に生きたい」と思ってしまうのは,我々が脳のどこかで知性の働きにストップをかけているからなのかもしれない。ここは神経生理学とスピリチュアリズムの分岐点だ。書き手として両方欲しいところだ。「みんなでハッピーになろう!!」と言う神経生理学者も,「一切はすべて肉体の苦痛の下にある」と言う霊能力者も,絶対面白いに決まっている。
たとえば,『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』に対する答えは,「忙しいから」では不十分かもしれない。本を読むことより,働くことの方が「幸福に」なれるからかもしれない。
一方,「苦痛を減らしたい」というマインドがあると言った。