コーラを飲むと骨が溶けるらしい。酒は百薬の長らしい。

コーラを飲むと骨が溶けるらしい。

というのはもちろん嘘っぱちだが、そう言い聞かされて育ってきたので、未だにコーラがあまり得意ではない。

たまに飲むと確かに「うまい」とは感じるのだが、「身体に悪い」というイメージが先行してしまって、どうも心の底から楽しむことができない。

一口目には、普段飲まないこともあって新鮮に美味しく感じるのだが、二口目以降は、なんだか妙に甘ったるく感じられてくるし、一缶飲み干す頃には、こころなしか奥歯がキシキシしてくるような感じがする。

「身体に悪い」イメージの食品を避ける傾向は、年を取るごとに強化されてきていて、最近はコーラに限らず、ジュースや甘味類を口にする機会自体がめっきり減ったし、甘いものに限らず間食をほとんどしなくなった。

昔は、ショッピングモールに入っていたお菓子の量り売りコーナーを見ては、夢のような空間だとはしゃいでいたのだが、今ではまったく食指が動かない。かつてはそれを買い与えてくれない両親のことを恨んでさえいたのだが、もし今の自分に子どもがいたとして、その子にねだられたとしても、やはり親と同じ選択をするだろう。

こちとら夕食時の炭水化物の摂取量にすら気を配る年齢になったのだから、当然と言えば当然かもしれない。

一方、酒は毎日飲んでいる。

こちらの方がよほど身体に悪いのだろうが、不思議とコーラを飲んだ時に湧いて来るような忌避感は、アルコールを飲むときには湧いてこない。

酒は百薬の長である。なんて言葉を流石に信じているわけではないし、毎晩酒を飲むことの方が、年に数回コーラを飲むことよりも圧倒的に身体に悪いことくらいわかっているつもりだが、それでも実際に飲むと感じ方が違うのだからどうしようもない。

これは、僕の身体に中途半端なアルコールへの耐性ができてしまっているせいかもしれないし、脳みそが酒に侵されてしまって正常な知覚ができなくなっている可能性もある。

しかし、あるいは、これは僕が育った環境によるもの、つまりは、我が家の英才教育の賜物と言うこともできるかもしれない。

父は晩酌を欠かすことがなく、夕食を摂ることと酒を飲むことが完全にイコールの人間だった。母の方は休肝日こそ設けていたが、それでも基本的には毎晩父に付き合っていたように思う。両親ともに、旅先や祝いの席であれば昼から飲むことは当たり前だったし、そうでなくとも、父が休日の朝方から飲み始めることは珍しくなかった。

母に用事がある晩などに、父が外食につれていってくれることがあったが、そんな時の行き先はもっぱら居酒屋か町中華だった。あるいは、ちょっといい蕎麦屋、なんかに連れて行ってもらうこともあったが、そこで父は、お蕎麦もそこそこに蕎麦味噌やら板わさやらをつまみにして日本酒を飲み始めるのだから、やはり酒飲みらしい店ばかり選んでいたと言える。食にうるさい父だが、どんなに名店と評されている店であっても、アルコールメニューの置いていない店にはほとんど足を運ばない。最近も、近所の有名なうどん屋にたまたま並ばずに入れたらしいが、「あそこは酒が置いてないから気を付けろ」というのが彼の一番の感想だった。

両親に限らず、親族も酒が飲める人が多かったし、時折、父が大学時代の友人や、会社の後輩なんかを家に連れて来ることがあったが、彼らは皆一様に「のんべえ」だった。

そのようにして、酒を飲む大人を多く目にしてきたせいか、僕はてっきり、我が国における健康な成人は全員、毎晩酒を飲むのが当たり前なのだと思っていた。

もちろん、体質的に飲めない人間がいるということは昔から知っていたのだが、「いける口」である人の中にも、今日は飲まない。という選択肢があることを知らなかった。今ではそんなことはないと知っているし、当時の無知を恥じてもいるが、成人したての頃には「酒を飲まない=体調が悪い」のだと本気で思っていたくらいで、同級生がアルコール抜きで夕食を摂っていることに、怪訝な眼差しを向けていたくらいだ。

言うなれば、「飲酒」という行為を、「飯を食うこと」以上に特別な行為だと思っていない。

これは極端な話だが、「仕事中に飲んじゃいけない」だとか、「酔っ払った状態で人と会うのは失礼」だとか、「明るいうちから飲むヤツは終わってる」みたいな考えにも、心の底から共感したことがない。

「仕事中に飲んじゃいけない」を例に挙げれば、車の運転や危険物の取扱など、人命に関わる仕事をシラフの状態で行うというのは当然のことだが、接客業や事務作業、あるいは日々の定例的な会議なんかについては、そこまで厳しく取り締まる必要もないのではないだろうか、と考えている。

「判断力の低下」が問題なのだとすれば、寝不足で仕事に来る方がよっぽど不誠実な態度だと思うし、1~2杯であれば、むしろリラックスできて頭と口の回転が速くなるのではないだろうか。

まあ、僕自身、一度飲み始めると泥酔するまで止まらないタイプの人間なので説得力もクソもないだろうが、ともかく、それくらいの感覚で生きている。

しかし、僕だって無分別に飲んでいるわけではない。当然、毎日飲酒するにあたって気を付けていることがある。

例えば、よっぽど安い酒は飲まないようにしている。

これはコーラに対する考え方とまったく同じで、一部の安価な酒は、どうも身体に合わなくて飲むことができない。例えば、「醸造アルコール」やら「糖類」やらが含まれている紙パック入りの日本酒なんかは、飲めば必ず気分が悪くなってしまう。

あと、サイゼリヤに置いてある、グラス100円とかで飲める一番安いワインも、どうも身体に合わない。こちらも飲むと必ず悪酔いする。しかし、サイゼリヤの酒の質はそこまで悪くないという評判も聞くので、これは単に僕が飲み過ぎてしまっているだけかもしれない。まあ、どちらにせよ、調子に乗って飲み過ぎてしまうというのも「安い酒=悪」たるゆえんである。

それともう一つ、僕は「ストロングゼロ」がどうしても飲めない。レモン味なんかは人工甘味料の味が受け付けないし、ドライでも香料の主張が強くて飲むことができない。昨今の創作物においては、「ストロングゼロ」が、まるで近代文学における「密造酒」のような立ち位置で描かれているような気がするが、幸か不幸か、僕は現代の無頼派にはなれなかったらしい。SUNTORYという大企業が出している商品に対して、「密造酒」呼ばわりはどうかと思うが、そんな雰囲気も含めて楽しんでいる層がいるのは事実だろう。

僕は酒好きのくせに中途半端に健康に気を遣ってしまう人間なので、どうやらそちら側には行けなかったようだ。

例えば、僕は痛風を恐れて、家ではほとんどビールを飲まなかったりする。

現在25歳だが、四月に受けた健康診断では肝臓と尿酸の数値がC評価だった。これはいわゆる「要経過観察」というやつで、基準値を超えてはいるものの、今すぐ精密検査を受けて専門医の指示を仰がねばならない、という切羽詰まったものでもない。

しかし、大学生の頃からビールばかり飲んできたせいか、現在すでに、飲み会の翌朝に足の親指の付け根に違和感を覚えることが多い。

かつては、痛風なんて中年の病気だと思っていたのだが、「かまいたち」の濱家が28歳で痛風を発症したという話を聞いてから、案外身近なものなのだとびくびくしている。ネットで検索をかけてみると20代での発症例もちらほらと見て取れる。

僕はこれまでの人生において、大きな怪我や病気をしたことがほとんどない。乳児の頃に痙攣を起こした以外では、思いつく限り最も大きな病気はインフルエンザだ。骨を折ったことも一度もない(これはコーラを避けてきたおかげかもしれない)。身体が強い、とも言えないが、しかし毎晩酒を飲めるくらいには健康体であり、定期的に病院の世話になっているということもない。

裏を返せば、僕は病気や怪我の対処に慣れていない。

強いて僕が慣れていることと言えば、二日酔いのやり過ごし方くらいだ(これは確実に積極的にアルコールを飲んできたおかげである)。

そのせいで必要以上に怯えているきらいはある。痛風のつらさは未経験の僕にはわからないが、かなり痛いと聞く。痛いのは嫌だ。僕は痛いのに慣れていない。

ビールの中瓶一本が500mlだが、大抵の酒飲みは晩酌で3本くらいは飲むだろう。これでちょうど1.5L飲んだことになる。気分がいい日はこの倍、3Lぐらいは飲むかもしれない。

プリン体過剰摂取の具体的な基準はわからないが、「ビールを3L飲んだ」という字面はちょっとすごい。見ただけで足が痛くなってくる。

というわけで、家で飲む時には焼酎かウィスキー、もしくはワインを選ぶようにしている。

もちろん、完全に禁止してしまうとつらいので、外食の時には気兼ねなくビールを頼むようにしている。むしろ「ここぞとばかりに」ビールばかり飲んでいる。しかし、そもそも今後一生ビールを飲めないのであれば、何のために健康に気を遣っているのかもわからないので、そこまで厳しく自分を縛るつもりはない。

効果があるかはわからないが、ウィスキーやワインだけを飲んだ翌朝は、顔がむくまないし、体臭がいくらかマシな気がしている。気休めかもしれないが、効果の表れだと信じたい。塵も積もればなんとやらである。

しかし、僕の中で、未だに一番好きな酒と言ったらビールである。

健康に悪いとはわかっていても、ビールのことを、コーラほど嫌うには至っていない。

何なら、痛風という病気の存在を知るまでは、僕はビールが最も自分の体質に合う、「健康的に飲めるお酒」なのだと考えていた。

まず、度数が低いので飲み過ぎることがない。僕は一度飲み出すと記憶をなくすまで止まらないタイプの人間だが、ビールはそこまで酔ってしまう前に、胃袋の限界の方が先に来るので、飲み過ぎてしまうことがない。

残念ながら最近は、長年のビール摂取によって胃袋が拡張してしまったのか、あるいは単に年を重ねるにつれて酒に弱くなってきただけなのかわからないが、ビールしか飲んでいない時でも普通に二日酔いになる。

しかし、家でハイボールを自作している時や、居酒屋でホッピーを頼んでしまった時と比べれば、数段マシである。

ビールは腹が膨れるのが嫌だという酒飲みもいるが、個人的には、むしろビールは腹に溜まるのが良い。メタボ体型のことを俗に「ビール腹」なんて言うが、僕はむしろ、ビールしか飲んでいなかった頃の方が痩せていたくらいだ。ハイボールやサワーの類を飲んでいると、それだけで腹が満ちることはないので、酔っ払って満腹中枢がバカになるのと相まって、必要以上に食べ物を口に運んでしまう。一方、ビールを飲むときには最低限のつまみでこと足りる。

やはりビールは別格だ。

そういえば、僕は大人になるまで炭酸飲料全般が飲めなかった。

昔は、コーラに限らず、ペプシも三ツ矢サイダーもキリンレモンも、ファンタもメッツも飲むことができず、かろうじて飲むことのできたのは「微炭酸」を謳っているマウンテンデューとオランジーナくらいだった。マクドナルドでは、Qooすっきり白ぶどうしか頼まなかったし、酒を飲み始めた頃にも、ハイボールやサワー類が苦手で、もっぱら水割りを頼むようにしていた。

今では缶チューハイを毎日のように飲んでいるし、「強炭酸」のハイボールが大好きだ。何なら、どうしても酒を飲めないタイミングではペリエを頼んで気を紛らわせることもある。

そうなったのは、ビールを飲むようになってからだった。

もちろん、ビールだって飲み始めた当初から好きだったわけではない。

高校三年で進路が定まった頃、「どうせ大学で飲むことになるから」という理由で、我が家では当然のように夕飯の食卓に僕の分のビールが出されるようになったのだが、その時はひどくまずくて、一口飲んだだけで残りを家族に押し付けていた。

ビールの楽しみ方を知らなかったのだ。

当時は、自分がその味に慣れていないだけで、慣れれば美味しく味わえるものかと思って、無理をしてでも舌の上に乗せて、ゆっくりと味を確かめていた。しかし、実際にビールをそのように楽しんでいる者などほとんどいない。はなから、口の中に留めて美味しく感じるようなものではないのだ。ビールが好きになった今でも、口の中に含んで、ぬるくなるまで味わっていれば普通に吐きそうになる。

舌に触れている時間をなるべく短くするくらいの勢いで、口内に入ってきた傍からどんどん喉の奥に流し込んでみる。すると、こんなに喉越しがよくて美味しいものはない。味の違いを楽しむにしても、ワインのように舌の上で転がすようなことはせず、性急に飲み込んで、後味を楽しむくらいで丁度いい。

ご存知の通り、日本のビールは5%ほどのアルコール度数で、炭酸の強い、キンキンに冷やして飲むタイプが主流だ。大学のマーケティングか何かの授業で、その走りはアサヒスーパードライだったと聞いた気がするが、昔のビール事情を知らないので真偽のほどは定かではない。昭和のビールの復刻版なんかも出ているが、もちろん製法は変わっているだろうし、現代人の舌に合うように改良されたものだろうから、当時のことを知ることはできない。製造工場やら、飲食店の冷蔵庫やらの性能の違いもあって、昔のビールはもっと苦くてぬるいものだったのではないだろうか、と想像していたりもする。

今となっては、度数が高いのも、苦みが強いのも、炭酸が弱いのも、何もかも、世界各国のあらゆるビールが大好きだ。昔は飲めなかったIPAなんかも美味しく飲んでいる。しかし、初めに外国のビールや、昔ながらの日本のビールを飲んでいたら、まったく違っていたかもしれない。炭酸飲料を克服することすらできず、未だにハイボールすら飲めなかったかもしれないのだ。

日本に「ドライ」ブームをもたらしてくれた、アサヒスーパードライの開発者には感謝してもしきれないくらいである。

さて、ビール談義が長くなったついでに、この文章の締めとして、僕が前々から、ビールの飲み方について、どうしても世間の感覚と相容れなかったことについて語ってしまいたい。

それは、「仕事終わりのビールが一番うまい」 というやつだ。

正直に言って、これはまったく意味がわからない。

何もない休日の昼間から飲むビールが一番うまいに決まっているし、体調が良ければ朝から飲みたいくらいだ。

喉が渇いている方がうまいというのはわかる。風呂上がりやサウナ後のビールは格別で、空腹は最高のスパイスなんて言葉もあるが、全くもってその通りで、腹が減っていればどんなものでもうまく感じるし、反対に満腹であればどんなものでも純粋に美味しいとは感じられなくなる。酒に関して言えば、確かに一杯目が一番うまい。酔っ払ってくると味がわからなくなってくる。ということもある。

しかし、ストレス値の高さが酒の味を良くする、というのはよくわからない。

何なら、ビールに限らず、僕は仕事で強いストレスを感じた日には、上手く酒を飲むことができない。味も悪く感じるし、なかなか酔うことができず、すぐに気分が悪くなってしまう。大抵そういった日には、無理をして度数の高い酒に手を出すのだが、それでも気分は高揚せず、むしろテンションが下がっていく一方だ。

もちろん、これは、僕が本当にビールがうまくなるような仕事を経験したことがないだけという可能性もある。酒に頼らなければ乗り越えることができないほどに強いストレスを伴う仕事、あるいは適度な達成感や虚脱感を与えてくれるようなメリハリのある仕事を、僕が知らないだけかもしれない。

しかし、それで言うと、「仕事終わりのビールが一番うまい」などと本気でのたまっている奴らは、本当にうまい「無為のビール」を飲んだことがないのではないだろうか。

何の作業にも追われていない休日。

身体的にも精神的にも万全の状態で。

その日を有意義に過ごす必要もない中。

軽く酔っ払って眠くなったら寝ればいい、くらいの気持ちで酒を飲む。

そこには「罪悪感」やら「背徳感」すらない。

そこにあるのは昼酒ができるだけの健康な身体と、最高にうまいビールだけだ。

下戸の皆さまには申し訳ないが、酒飲みの方がより人生を楽しんでいるのは事実かもしれない。

しかし、酒飲みの方がよりストレスを感じていて、苦労しているなんてことはありえない。

僕のビールにそんな不純物は混ぜ込まないでくれ!

何だか「身体に悪い」気がして、素直に楽しめなくなってしまうじゃないか!!!